2015-01-01から1年間の記事一覧

プーシキン「バフチサライの泉」とザレマの愛の情熱

プーシキン「バフチサライの泉」とザレマの愛の情熱 かの泉、われと同じく 訪れし人あまたありしが、 今ははや世を去りしものあり、 はるか遠くさまようものあり。 サディ クリミア・ハン国は、ジンギス・ハーンの後裔と言われるハージー1世ギレイによって15…

大岡昇平『武蔵野夫人』と内田吐夢『限りなき前進』

[ 学生時代、恋ケ窪、鷹の台、と国分寺からふたつめの駅で降り、玉川上水沿いの道を歩いて大学へ通った。大岡昇平の『武蔵野夫人』は、その恋ケ窪が舞台だが、かつて一度たりともそこで降りようとしたことはなかった。溝口健二監督の映画『武蔵野夫人』をあ…

大正・乙女デザイン研究所9月例会のお知らせ

[大正・乙女デザイン研究所 第44回月例会] 日時:9月26日(土) 18:00〜 会場:中央区立産業会館4階 『第4集会室』 東京都中央区東日本橋2−22−4 http://www.chuo-sangyo.jp/access/access.html 内容:芸術新聞社刊『本の夢 小さな夢の本』出版記念+懇親会 小…

挿絵画家 松野一夫の多彩な世界

かつてあったのに今はなく、自分で作ってしまいたいと思う本のひとつに、少女雑誌がある。少女といっても子どもではなく、若い女性という方が近い。もっと広い意味では、”少女の感性”を持ち続けているひとのための雑誌である。 上質の教養と娯楽とロマンがあ…

6月25日刊行『本の夢 小さな夢の本』

この本は、少女時代に作っていた「夢の莟ノオト」が開花したものです。 はじめに詩と古典のことばが降りてきて、そこから物語がうまれ、大好きな本の形を借りて、宝石のような小さな本が誕生しました。 仕事として多くの装丁に関わり、商品としての本作りを…

信濃追分と福永武彦夫妻のこと

紫のぼかしに短冊を散らし、物憂い横顔の婦人を配した七夕の絵葉書。裏をかえすと、旧字旧仮名の見馴れぬ文字が綴られている。差出人の名前を見て私は驚いた。それが福永武彦先生にはじめて戴いた夢二の絵葉書だった。そのとき、先生の余命があと四年などと…

本の装い、商品としての本

*本の装い、商品としての本 これまでに何冊の本を装丁したか、記録もなく、すべてを所蔵してもいないので、書名を覚えていない初期の本はどれだけあるか分らなくなっている。 最初にきちんと印刷して造本をしたのが、学生時代の友人の詩集『海の色』だった…

個人誌「邯鄲夢」と久世光彦さんのこと 

箱のなかに箱があり、それを開けるとまた箱がある。開けても開けても箱があり、少々不安になった頃、ようやく小さな本が顔を出す。このマトリョーシカのような重ね箱のイメージは、絵のなかの絵、そのなかの絵、と限りなく小さくなってゆきながら果てしなく…

日本女子大「詩と童話まつり」と諏訪優さんのこと

目白の東京カテドラル聖マリア大聖堂の近くの日本女子大学のキャンパスで、「詩と童話まつり」が開かれていた時期がある。日本女子大学に児童文学究室があった頃で、「目白児童文学」の姉妹誌として、同人誌「海賊」が発行されていた。アドバイザーに山室静…

カイ・ニールセンと小林かいちの「様式としての嘆き」

中原中也の恋人だった長谷川泰子の口述をまとめた本を文庫化することになり、その装丁を依頼されたのは、2006年1月のことである。カバーには、小林かいちの版画を使う予定だという。それまで私が見たかいちと言えば、二度の「絵はがき展」の展示作品と古書市…

荒巻義雄『時の葦舟』と在りて無き世、または入れ子の夢

天井も壁も床も鏡で作られた万華鏡のような部屋に入ったとき、果てしなく続く鏡像はすべてが虚像なのだろうか。もしや自分自身がすでに虚像であり、この世界そのものが、だれかの夢のあるのではないか、と思わせる物語が、荒巻義雄の『時の葦舟』である。 物…

「舞踏会の手帖」と扇ことば

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督のフランス映画「舞踏会の手帖」(1937年)に、主人公クリスティーヌ(マリー・ベル)が36歳の若さで未亡人となり、湖畔の古城の暖炉の前で、夫の遺品を整理していたとき、するりと鉛筆の付いた小さな手帖が床に落ちる場面が…

「夢の莟ノオト」と「Nostalgic Words」

*「夢の莟ノオト」と「Nostalgic Words」 中学生から大学生にかけて、古語辞典や国語辞典、漢和辞典、類語辞典を読んで、言葉を拾うのが好きだった。 大学生の時、古語辞典から言葉を選んだノート「Nostalgic Words」 と、気に入った詩や言葉の断片や本や映…