大岡昇平『武蔵野夫人』と内田吐夢『限りなき前進』

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 学生時代、恋ケ窪、鷹の台、と国分寺からふたつめの駅で降り、玉川上水沿いの道を歩いて大学へ通った。大岡昇平の『武蔵野夫人』は、その恋ケ窪が舞台だが、かつて一度たりともそこで降りようとしたことはなかった。溝口健二監督の映画『武蔵野夫人』をあらためて観ると、戦後すぐの武蔵野の風景と野川の湧き水、その水源地である恋ケ窪が牧歌的に描かれている。この地には、遊女が池に身を投げたという伝説があった。主人公道子(田中絹代)の従弟で、ひそかに想いあっている、ビルマから復員したばかりの大学生勉役に片山明彦。この人は両親が俳優で、子役として『路傍の石』の愛川吾一などを演じている。『挽歌』では知的な建築技師だった森雅之が、道子の夫である俗物でいつも機嫌の悪い、スタンダール研究者のフランス文学の教授役であるところが、何だかとてもいたましい。森雅之も、隣家の山村聡も、うつむいていると上品な片山明彦までもが、時々目を剥いて不満を述べるのは、溝口健二好みの演出なのだろうか。
 巌谷大四の新聞連載「名作の女性たち」の見出しに「貞淑を美徳と信じ」と書かれているが、道子は本当にそう信じていたのだろうか。その時代に、女性たちは「信じていた」というより、「信じさせられていた」のではないだろうか。道子はたび重なる不幸と美徳にがんじがらめになって絶望し、みずから死を選んだのである。
 さらにこれは初見では気づかなかったが、片山明彦は内田吐夢監督の『限りなき前進』にも出演していたようだ。『武蔵野夫人』の妖艶な富子役の轟夕起子が初々しい少女役だった頃なので、当然少年役(子役)だと思う。
 この作品は、マイホームの夢破れたサラリーマン(小杉勇)が発狂する後半を、戦後内田が満州に残留している間に、GHQにハッピーエンドに改竄(未確認)され、激怒して改竄部分を削除、字幕で補って修正したという未完全版しか残っていない。十数年前に京橋のフィルムセンターでようやく観ることが叶ったのも、この未完全版だった。