第二詩集『若三日月は耳朶のほころび』

ようやく三年越しの懸案だった、文庫サイズ、第二詩集にして最後の詩集『若三日月は耳朶のほころび』が出来上がりました。カバーと表紙に艶金箔押。第一詩集『ミモザの薬』からのご縁で、帯文をミナ ペルホネンの皆川明さんにいただきました。上製角背80頁。収録詩20篇。著者自装。限定500部。東京四季出版(042-399-2180)刊。定価1500円+税120円。送料180円。
少数の書店にしか置かない本ですが、ご希望の限定番号入、直接ご送付は可能です。お問い合わせはプロフィ―ル欄をご覧下さい。
京都「恵文社一乗寺店」 075-711-5919、明大前の古書「七月堂」 03-3325-5717、神保町のエスニック雑貨店「オッカラン」 03-6268-9898 吉祥寺の古書「百年」0422-27-6885、神田小川町の古書「虔十書林」03-5282-3963 には、置いていただいています。
恵文社のオンラインショップには、2015年刊行の「本の夢 小さな夢の本』が掲載されています。
http://www.keibunsha-books.com/shop/shopdetail.html?brandcode=000000021411&search=%CB%DC%A4%CE%CC%B4%A1%A1%BE%AE%A4%B5%A4%CA%CC%B4%A4%CE%CB%DC&sort=

薔薇のエンボスの押された豆本『ロンサール詩集』


日本橋三越カルチャーサロンで、2018年6月24日(日)に講習予定の『ロンサール詩集』の書影です。11:00〜16:00(昼食含む)本の大きさは、縦8.5×横6.5mm。
講習費:10800円(材料費込)[お問い合わせ・お申込み ]03-3274-8595
●真珠光沢の紙に薔薇のエンボス+ローズピンクの背革+金のブレード。細いリボンの先に薔薇のパーツ付き。見返しも薔薇のストライプ模様。本文はフランス・ルネサンス期を代表する詩人ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard)のソネットやオードに、クラシックな薔薇の挿絵を添えて。本文は糸かがりです。
薔薇の品種にも、ピエール・ド・ロンサールというロゼッタ咲の花があります。
https://mitsukoshi.mistore.jp/bunka/search/?pageNo=1&itemPerPage=20&order=1&categoryId=03_030000&searchAttribute=三越カルチャーサロン&slPsblCntUmuFlg=1&sitePath=bunka

佐藤春夫の小説『西班牙犬(スペインいぬ)の家』


2018年の戌年の賀状を、今頃アップします。
佐藤春夫の小説『西班牙犬の家』は、大正6年初出。(夢見心地になることの好きな人々の為めの短篇)というサブタイトルが付いている。ジャック・カゾットの「悪魔の恋」をモチーフにしたという不思議な作品。 主人公は、愛犬フラテとの散歩の途中、雑木林のなかの一軒家で、黒いスパニッシュ犬と出会う。赤い表紙に配された犬は、イングリッシュセッターの賢いフラテ。本文糸かがり。赤の牛革+プリントの豚革の継表紙。犬のパーツに付いた鎖は、本の背側の溝に消えている。見返しは薄緑の木立の模様。88×62mm。2017年制作。

[ガラスケースのなかの小さな本]〜装丁家・田中淑恵のアートブック


装丁家・田中淑恵の、初期から現在までの手製のミニチュアブックからセレクトした作品を展示いたします。会期中旬に、一部展示替えがあります。

会期●2017年6月7日(水)〜7月5日(水)
場所●JR中野駅南口徒歩5分 なかのゼロホール西館1F
事務所前のガラスケースのみのささやかな展覧です。
開館時間● 9:00から22:00 
休館日●6月26日(月)

17歳で自死、井亀あおい『アルゴノオト』『もと居た所』

はらりと旧い紙片が膝に落ちた。ーー井亀あおい『アルゴノオト』ーー
読んでみたい本の覚書である。これを書いた頃はネット検索などなかったので、手に入れられぬまま、20年近く紙片を取っておいたのだろう。早速検索して本を取り寄せると、これは1977年に17歳で投身自死した少女の日記であり、遺稿集『もと居た所』(共に葦書房刊)も刊行されていた。
「アルゴノオト」とは、ギリシャ神話で金羊毛を探しに行くイアソンのアルゴー船の乗組員を意味する。中学2年(1973)から1977年に自死する前日まで書いていた12冊の日記のタイトルである。
井亀あおいは、1960年熊本市に生まれる。父親は、毎日新聞西部本社報道部勤務。


遺稿集『もと居た所』の表題作の、視力と両足を失った少年が語る言葉。
ーー僕は覚えているよ。マルセル。ずっと以前、ここではない所に「真」があったのを。そこは、ほんとうに、今のここじゃなかった。でも確かにぼくはそこにいた。そこは、何もないよ。そうだね、夜があける時のように、向こうの方が明るくて、上の方は重々しくたれこめている。そんなところだ。まわりにひとなんて居ない。ほんとうに何もないんだよ。そしてそこに「真」があったんだ。ぼくは覚えているよ。ぼくは確かにそこにいたことがある。
すべての、多すぎるものをとり去ってしまえば、あの以前の、そうだね、「もと居た場所」があらわれるんだ。そしてそこにある「真」が見えるんだ。すべてのものを取り去ってしまえば、だよ。(中略)ほんとうの「真」は、すべてを取り去った所にあるんだ。ーーぼくら、そこに行きつけない筈はないんだよ。だって、「もと居た場所」なんだからね。すべてをとり去りさえすればいいんだよ。多すぎるもの、多すぎる人、うその空、うその地面をとり去りさえすれば。ーー
彼は空をはぎとって、「真」のあった「もと居た場所」に戻ろうとして空にひるがえったのである。
これは、九州モダンアート展で見た大津忠太郎の絵画「曙」からイメージした短篇であり、『アルゴノオト』のカバー装画としても使われている。

この遺稿集を読んで、まずその大人びたシニカルな語り口と、膨大な読書量に支えられた的確な表現、さらに選ばれた漢字の多様性に驚く。この年代の幼さが微塵もないのである。15〜17歳でこれだけの表現と冷徹な世界観を持った少女に出会ったのは、初めてである。政治や時局についても真摯に言及している。
長編小説「無題」(タイトルが確定していない)のなかで、作家であるミリアムに、少女時代の親子ほど年の離れた隣家の厭世的な作家との、微妙な心理の綾なす交流について語らせているが、ミリアムはあおいの洗礼名であり、人物像は彼女自身の投影といっていいだろう。この年代の少女にありがちな甘たるい感傷や、ファッションや流行は一切出て来ない。見事なまでに硬派で、痛々しいほどに内省的である。

読み耽った作家はヘッセ、カロッサ、モーム、ジイド、カフカカミュトーマス・マン、作曲家はシベリウス、芸術家はヘンリー・ムーア、ムンク、スーラ、キスリング……特にシベリウスには心酔していて、いくつもの賞賛の文章を記している。


ひそかに心を寄せていたとおぼしき同年代の山岡氏、年の離れた信頼できる大人としての米倉斉加年。投身したあとに残されていたのは、ハンカチ、小銭入れ、持っていた本はモームの『Up at the villa』であった。

2017年酉年の年賀状『WORPSWEDE』

2017年酉年の年賀状。今年は新作が作れず、旧作の天地左右に開く四季の写真集『WORPSWEDE』を、外函とともに青磁色の鳥のお皿に載せてみる。北ドイツの高原の村ヴォルプスヴェーデには、20世紀初頭、画家ハイリッヒ・フォーゲラー、オットー・モーターゾーン、パウラ・ベッカー、詩人ライナー・マリア・リルケ、彫刻家クララ・ヴェストホフなど多彩な人々が集い、芸術家コロニーを築いた。ルー・サロメに失恋した失意のリルケは、ここでロダンの弟子のクララ・ヴェストホフに出会い、結婚した。オットー・モーターゾーンとパウラ・ベッカーも結ばれたが、パウラはわずか31歳で病没。リルケはパウラの死を悼み「友へのレクイエム」と題する詩を制作している。76×82mm。1995年制作。

立原正秋「剣ヶ崎」の一族の愛の悲劇


 暗い主題を扱いながら清澄な文体に導かれたこの小説は、民族問題を抜きにしては語れないが、それと同時に、これは「血を分けた」者たちの愛と憎しみの物語である。物語の主要な展開において、「他人」というものがほとんど現れず、登場人物がすべてといっていいくらいに血縁だからである。
 ふたつ違いの石見太郎と次郎の父、日韓混血の李慶孝と母尚子は従兄妹同士である。ここにまず血縁である以上に魅かれあう、紛れもない熱い血の交情がある。しかし、その父は北支事変勃発の年に韓国大邱の連隊を脱走したまま、杳として行方が知れない。次郎が十一歳の時である。尚子は二人の子を連れて帰国し、鎌倉の実家から剣ヶ崎の家へと移り住む。そして、その家に療養にやって来た母方の従妹の志津子と太郎もまた、宿命のようにもとめ合うのだ。

 この二代にわたる二組の愛は、続柄は同じでも、血が濃くなった太郎と志津子の方がより悲劇的である。なぜ愛し合う相手が志津子でなければならなかったのか、といってしまえば、小説は成り立たない訳だが、父と母が魅かれ合い、兄と志津子が魅かれ合ったのを、太郎自身「不思議だ」と言い、大学で中世文学を講じるようになってから、次郎も殊に不思議なことと感じるようになっている。
 志津子が剣ヶ崎へやって来たのは、尚子が再婚して小田原に去ったのと同じ年のことである。このとき十七歳の太郎は、美しく成長した一つ年下の従妹に、心ならずも他家に去ってゆかねばならなかった母の面影を見ていたのではないか。
 右翼思想の持主の志津子の兄憲吉は、太郎という人間そのものよりも、彼のなかに流れている朝鮮人の血を憎み、妹との交際を許さぬばかりか、次郎ともども剣ヶ崎の家から追い出そうとする。終戦直後の八月十六日、「従兄(にい)さん。俺と志津子が発つのを、とめることはできないよ」という太郎を、激昂した憲吉は竹槍で刺して殺す。「血をわけた者を殺すなんて」と叫んで志津子は気を失うが、その夜剣ヶ崎の断崖から身を投げて死んでしまう。二人の死を追うように、海軍中佐だった叔父李慶明が林の中で拳銃自殺したのは、翌日の暁方のことだった。

「混血自体が一種の罪悪だ」「信じられるのは美だけだ」と言い続け、渝(かわ)らぬもの移ろわぬものを絶えずもとめ続けながら、聡明さのゆえに二十歳にしてすでに虚無の仮面をつけていた太郎。彼は血縁の濃い血を愛し、さらにまたその縁に続く者によって罪の血を流しつつ絶命する。ここには見事なまでの滅びの美学がある。彼は存在自体が罪であるみずからをすすんで滅ぼすことによって、永遠に移ろわぬ美そのものになろうとしたのかもしれない。
 一方、たった一日の間に相次いで三人の身内を失くし、自身の死をも垣間見ながら、死んではならぬと自分に鞭打った次郎の精神の勁さは、「鉄の意志」を持った父から受け継がれたものだろうか。

 事件当日から行方のわからなかった憲吉が鎌倉の家に戻って来たのは、四年後の花曇りの午後である。痩せさばらえて狂人となりながらも、彼は自分が殺した従兄の名を呼んで、満開の桜の樹の下で泣いたのである。半年後、彼もまた狂気のままに死んでゆく。
 後年、次郎は「憲吉が太郎を刺したのは日本人の血、太郎を求めてきたのも日本人の血」と思い返す。血の不幸は、憎んだ方にも憎まれた方にも、等しく滅びをもたらしたのだった。

 暗い思い出しかない土地を去ってから十七年間、墓参以外には訪れることもなかった剣ヶ崎にふたたび足を向けたのは、二十五年ぶりに再会した父李慶孝を案内するためであった。渡米途次に日本に立ち寄った父は、軍人として韓国の要職に就いている。すっかり韓国人になりきった父と国文学の研究者である息子とは、血が繋がっているとはいえ、もはや他人以上に他人なのである。父はなぜ二十五年の間に一度も連絡をしなかったのかについては一切触れることはなかった。しかし失踪の理由と韓国人として生きようとした決意について語り、「血の迷いなどは青年時代にどこかに捨ててきた」ときっぱりと言ってのける。
 次郎は父と再会したことで不可侵の距離を感じるが、それとともに十七年の間わだかまっていた暗い翳がすこしずつ晴れてゆくのを感じていた。「ひとつの宿命をのりこえた」と思う。生き残ったために一身に背負ってきた一族の悲劇から、ようやく解き放たれる時がきたのである。
 この小説が書かれたのは今から五十年も前のことだが、当時と現在とでは「混血」に対する意識にも格段の変化がある。にもかからわず、大変残念なことだが、差別意識は根深いところでは決してなくなってはいない。それは次郎が「不思議な島国根性」と父に言った、脈々と続いてきた日本人のかわることのない国民性に拠るのだろうか。

初出 :「季刊湘南文學」1994年秋号 〜十人の女性がつづる立原作品の世界〜より 
   かまくら春秋社