17歳で自死、井亀あおい『アルゴノオト』『もと居た所』

はらりと旧い紙片が膝に落ちた。ーー井亀あおい『アルゴノオト』ーー
読んでみたい本の覚書である。これを書いた頃はネット検索などなかったので、手に入れられぬまま、20年近く紙片を取っておいたのだろう。早速検索して本を取り寄せると、これは1977年に17歳で投身自死した少女の日記であり、遺稿集『もと居た所』(共に葦書房刊)も刊行されていた。
「アルゴノオト」とは、ギリシャ神話で金羊毛を探しに行くイアソンのアルゴー船の乗組員を意味する。中学2年(1973)から1977年に自死する前日まで書いていた12冊の日記のタイトルである。
井亀あおいは、1960年熊本市に生まれる。父親は、毎日新聞西部本社報道部勤務。


遺稿集『もと居た所』の表題作の、視力と両足を失った少年が語る言葉。
ーー僕は覚えているよ。マルセル。ずっと以前、ここではない所に「真」があったのを。そこは、ほんとうに、今のここじゃなかった。でも確かにぼくはそこにいた。そこは、何もないよ。そうだね、夜があける時のように、向こうの方が明るくて、上の方は重々しくたれこめている。そんなところだ。まわりにひとなんて居ない。ほんとうに何もないんだよ。そしてそこに「真」があったんだ。ぼくは覚えているよ。ぼくは確かにそこにいたことがある。
すべての、多すぎるものをとり去ってしまえば、あの以前の、そうだね、「もと居た場所」があらわれるんだ。そしてそこにある「真」が見えるんだ。すべてのものを取り去ってしまえば、だよ。(中略)ほんとうの「真」は、すべてを取り去った所にあるんだ。ーーぼくら、そこに行きつけない筈はないんだよ。だって、「もと居た場所」なんだからね。すべてをとり去りさえすればいいんだよ。多すぎるもの、多すぎる人、うその空、うその地面をとり去りさえすれば。ーー
彼は空をはぎとって、「真」のあった「もと居た場所」に戻ろうとして空にひるがえったのである。
これは、九州モダンアート展で見た大津忠太郎の絵画「曙」からイメージした短篇であり、『アルゴノオト』のカバー装画としても使われている。

この遺稿集を読んで、まずその大人びたシニカルな語り口と、膨大な読書量に支えられた的確な表現、さらに選ばれた漢字の多様性に驚く。この年代の幼さが微塵もないのである。15〜17歳でこれだけの表現と冷徹な世界観を持った少女に出会ったのは、初めてである。政治や時局についても真摯に言及している。
長編小説「無題」(タイトルが確定していない)のなかで、作家であるミリアムに、少女時代の親子ほど年の離れた隣家の厭世的な作家との、微妙な心理の綾なす交流について語らせているが、ミリアムはあおいの洗礼名であり、人物像は彼女自身の投影といっていいだろう。この年代の少女にありがちな甘たるい感傷や、ファッションや流行は一切出て来ない。見事なまでに硬派で、痛々しいほどに内省的である。

読み耽った作家はヘッセ、カロッサ、モーム、ジイド、カフカカミュトーマス・マン、作曲家はシベリウス、芸術家はヘンリー・ムーア、ムンク、スーラ、キスリング……特にシベリウスには心酔していて、いくつもの賞賛の文章を記している。


ひそかに心を寄せていたとおぼしき同年代の山岡氏、年の離れた信頼できる大人としての米倉斉加年。投身したあとに残されていたのは、ハンカチ、小銭入れ、持っていた本はモームの『Up at the villa』であった。