「夢の莟ノオト」と「Nostalgic Words」

yt0765432015-01-28

*「夢の莟ノオト」と「Nostalgic Words」
 中学生から大学生にかけて、古語辞典や国語辞典、漢和辞典類語辞典を読んで、言葉を拾うのが好きだった。
 大学生の時、古語辞典から言葉を選んだノート「Nostalgic Words」 と、気に入った詩や言葉の断片や本や映画、物語の構想を書き付けた「夢の莟ノオト」、物語の出場者を蒐めた『登場人物辞典』を作った。
 古文には、美しい日本語が満載である。夢見月、夏羽月、得鳥羽月、松風月などの月の異称のほかに、身体の部位などにさえも、えもいわれぬ優雅な名前が付けられている。ひかがみ(膝裏の部分)、かいな(腕)、おとがい(頤/下顎)、まなかい(目交)、それらは若く柔軟な脳の襞々にまで沁み込んでいった。大好きな「季刊銀花」に出会う直前の時期だったが、ちゃんと「き」のところに[銀花]=雪、灯火の形容、と書いてあるのには、後に開いて見て我ながら驚いた。きれいな古語ばかり集めていたので、ラインナップに入ったのだろう。
 「夢の莟ノオト」には、紫式部の『源氏物語』のパロディ、江戸時代の柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』の原本と呼応するヒロインたちの名前を列挙。藤壷の宮→藤の方、葵の上→二葉の前、夕顔→黄昏、花散里→花郷、明石の上→朝霧、末摘花→稲舟姫、など。またピクトグラフィーとしての源氏香。(五本の短冊の天地がどのような形で繋がっているかで、香の名前がわかる。共立女子大の新館の窓が、縦に三つに桟で仕切られ、五本ではないのに、なぜかこの源氏香の形に見えた。その先の神保町交差点のスーツ屋さんのアイコンは、なんと縦4本の線で「帚木」に似ている) そしてフランス革命後の革命暦。いにしえの色名。古式の言葉。偏愛する詩人、ゲオルグ・トラークルやテオフィル・ゴーティエ大手拓次、高祖保、吉田一穂の詩の言葉。それらは、誰に教えられた訳でもなく、自分自身の嗅覚で嗅ぎ分けた、優れてひそやかなものたちだった。声高に叫ぶわけでもなく、ひっそりと咲いている広野のクローバーのなかの四葉のように、心ある少数の誰かがいつか共感してくれれば、それでよかった。
 『登場人物辞典』は、アナトール・フランスの『アベイユ姫』のアベイユとジョルジュ、『ポンペイ最後の日』のグローカスとイオーネ、『緑の館』のアベルとリーマ、『リラの森』のブロンディーヌとパルフェ、『サンダリング・フラッド』のオズバーンとエルフヒルドなどの恋人たちの名前と、脇役たちの辞典。
 好きな歌人、詩人は、後鳥羽上皇主催の五百番歌合でデヴューし夭折した若草の宮内卿大手拓次尹東柱広津里香、ルミ・ド・グウルモン、アンリ・ド・レニエ、ゲオルグ・トラークル、ジャック・プレヴェールポール・エリュアール、好きな作家は、筆頭がテオフィル・ゴーティエ、ジュディット・ゴーティエ、ダフネ・デュ・モーリア久坂葉子、中里恒子、結城信一龍胆寺雄、磯永秀雄、松永茂雄、大井三恵子…
 そして読みたくても読むすべのない本の数々。小宮山書店の店頭で、花森安治の挿絵に飾られた上巻だけをみつけて、20年近く下巻の読めなかったテオフィル・ゴーティエの『モーパン嬢』は、岩波文庫の復刻でようやく読むことができた。バイロンの『海賊』、クリスティーナ・ロセッテイの『妖精の市場』、オストローフスキーの『雪姫』は入手したが、まだヘリオドロスエチオピア物語』、メーテルリンク『マレエヌ姫』、リチャードソンの『クラリッサ』、ソフィ・コタン『マティルド』は見つかっていない。
 また、今だ書けぬ物語群。花が咲くと、雌しべが伸びてマッチになり、一輪ずつ咲いたその日に燃え尽きて落ちる「トトル・ククルとマッチの実」。裏返したみずうみは鏡になっていて、空から見ると、鏡面に湖水の生物や植物、そして死んだ女の子が映っている「裏返しのみずうみ」。「過ぎし日と来たる日の窓」「むなさわぎの森」「美貌の盗賊と七人の姫」「絲遊(かげろう)の少将」。
 当て字の頁には、いちばんのお気に入り、『シラノ・ド・ベルジュラック』より「男の羽根飾(こころいき)」などが書かれている。J・ミネカイヅカの『夜の花ざかりまたは小説』は、内容は今ひとつよくわからなかったが、馥(かお)る、巷巷(まちまち)、方策(てだて)、情景(デコール)、辯解(いいわけ)微睡(まどろ)む、といった漢字とルビの乱舞に興奮した。
 幕末の日米和親条約締結後に大急ぎで考案された諸外国の当て字には、希臘(ギリシャ)西班牙(スペイン)瑞西(スイス)瑞典スウェーデン丁抹デンマーク)白耳義(ベルギー)土耳古(トルコ)葡萄牙ポルトガル)、都市は華盛頓(ワシントン)桑港(サンフランシスコ)聖路易(セントルイス)伯林(ベルリン)羅馬(ローマ)など、苦心の跡が窺えて興味深い。 
 メモの断片は、深海の花アンベルーラ、贈答の和歌とタイトルのみ残って散逸してしまった王朝の物語、古代の彫像の口角だけをつり上げたアルカイック・スマイル(古式の笑い)、大手拓次や精神病患者などの絵にしばしば見える草花の花冠の部分が顔になっているバロメッツ(半獣半草)などなど。気に入った絵や写真を見つけて、切り抜いてスクラップするように、これらは自分だけの言葉のスクラップ帳なのだった。後々このノートからさまざまなインスピレーションを授けてもらうことになった。