李陸史『青ぶどう』と尹東柱『星うたう詩人』

 韓国の詩人李陸史(イユクサ)の『青ぶどう』(伊吹郷訳/筑摩書房1990年)からいくつかの詩篇を拾ってみる。
 
     青ぶどう 
 
  わが里村の七月(ふみづき)は
  青ぶどうの色づく季節  

  
  この里の伝説がたわたわ実り
  遠くの空が夢見ようと粒つぶに溶けこみ
  
  空の下まっさおな海が胸をひらき
  白帆の船がのどやかにたゆたいくれば
 

  わが待ちびとはやつれはてた身に
  チョンポを着て訪れるというから
 
  客びとを迎え このぶどうをつまんで食べるなら
  両の手がしっとりと濡れようとも厭うまい


  子よ われらの食卓には銀の盆に
  白モシの手ふきを揃えておおき


    江(かわ)を渡っていったうた

 
  師走のなかでも十五日、月あかるい晩
  あの江がかちかち凍てついた晩
  わたしの口ずさんだうたは江を渡っていったのです


  江むこうの空のはて 砂漠まで達するところ
  わたしのうたはつばくろのように翔んでいったのです


  忘られぬ娘 よるべさえないと言って
  いくにはいったが か弱い羽がちからつきれば
  やがてどこか灼熱の砂に墜ちてやけ死ぬでしょう


  砂漠ははてしなく蒼空におおわれ
  泪ぐむ星々が弔いにくる夜更け


  夜は昔日のことを虹よりもあざやかにみせるから
  うたのひとふしはここに置き もうひとふしはどこにあるのか
  わたしの口ずさんだうたは その夜 江を渡っていったのです
  

     絶 頂
  
  つきささる季節の鞭に打たれ
   ついに北方へ追いたてられた
 

  空さえもなすすべもなく力尽きた高原
  刃(やいば)のごとき霜柱 そのうえに立つ


  どこに膝を折るべきか
  一歩 つまさき立つところとてない


  それゆえまぶたを閉じておもうのみ
  冬は鋼鉄(はがね)でできた虹なのか

                   
 この詩が日本や欧米の詩と決定的に違うのは、詩人イユクサが抗日独立運動の志士であり、美しい抒情のそこここに抵抗詩として多くの暗喩を含んでいるということである。彼は抵抗を貫き、祖国の植民地からの解放を求め、終戦の前年に、北京で日本軍憲の拷問によって獄死している。「わが待ちびと」とは、悲願の「解放」であり、雪舞う「曠野」は、主権を奪われている祖国の姿である。降りしきる雪は、民族に対する強圧である。
 実弟によると、四十年に亘って亡命と投獄と放浪にあけくれた詩人が大邱(テエグ)刑務所にいた時、囚人番号二六四(イーユクサ)を朝夕刑吏に呼ばれるので、これをペンネームにしたという。イユクサは、1904年生まれ。1944年1月に、解放を待たずして獄死した。
 一方、尹東柱(ユンドンジュ)は、1917年生まれ。日本へ渡って立教大学に学び、その後、京都へ行って同志社大学へ転入する。その在学中に、 母国語で詩を書いていたドンジュは、治安維持法違反の嫌疑をかけられて鴨川署に拘束、福岡刑務所に収監され、終戦の半年前、その地で毎日得体の知れぬ注射を打たれ、27歳で絶命している。彼はクリスチャンだったが、革命の志士ではなかった。 韓国語を勉強していた茨木のり子が、「20代でなければ絶対に書けないその清冽な詩風」と書いているように、詩は若さと美しさに満ち満ちている。「韓国の立原道造」と称されているのもうなずける。



     序 詩
 
   死ぬ日まで空を仰ぎ 
  一点の恥辱(はじ)なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  私は心痛んだ。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そしてわたしに与えられた道を
  歩みゆかねば。

 
  今宵も星が風に吹きさらされる。
 
 

     雪降る地図
  
 順伊(スニ)が去るという朝 せつない心でぼたん雪が舞い、悲しみのように窓の外
 はるか広がる地図の上をおおう。部屋の中を見廻しても誰もいない。壁と天井が真っ
 白い。部屋の中まで雪が降るのか、ほんとうにおまえは失われた歴史のように飄然
(ふらり)と去ってゆくのか、別れるまえに言っておくことがあったと便りに書いても
 おまえの行先を知らず どの街、どの村、どの屋根の下、おまえはおれの心にだけ残
 っているのか、おまえの小さな足跡に 雪がしきりと降り積もり後を追うすべもない。
 雪が解けたら のこされた足跡ごとに花が咲くにちがいないから 花のあわいに足跡
 を訪ねてゆけば 一年十二カ月 おれの心には とめどなく雪が降りつづくだろう。


 私は、先に『青ぶどう』を読み、伊吹郷の訳詩が抒情的な上に品格があり、音読しても滑らかだったので、それは日本語の構成に負うところが多いと思った。金素雲訳編の岩波文庫の『朝鮮詩集』に李陸史の詩は二編収録されているが、やはり伊吹訳の方がリズムが美しかった。尹東柱の『星うたう詩人』(三五館/1997年)は、装丁の仕事として手がけたものだが、その時はじめて尹東柱の名を知った。文中に、伊吹訳と詩碑建立委員会訳が混在していて、当時はあまり気に留めなかったが、のちに『空と風と星と詩』(伊吹郷訳/影書房2006年3刷)の巻末で、伊吹訳が誤訳であるとの指摘に、伊吹氏が反論を述べているのを読んだ。訳詩は、直訳がよいとは限らず、リズムや全体の調和、何よりも日本語が最も大切で、訳語を重視しなくては、つまらない散文になってしまう。完成度と格調からいっても、伊吹訳の右に出るものはないと思った。
 ポール・ヴェルレーヌの「Il pleure dans mon coeur」の訳は、堀口大学のタイトルは「巷に雨の降るごとく」、鈴木信太郎は「都に雨の降るごとく」。第一連の言い廻しは堀口訳、第二連の響きは、鈴木訳が優れていると思う。

 
   巷に雨の降るごとく
   わが心にも涙ふる。
   かくも心ににじみ入る
   このかなしみは何やらん? (堀口訳)

  
   大地に屋根に降りしきる
   雨のひびきのしめやかさ。
   うらさびわたる心には
   おお 雨の音 雨の歌。  (鈴木訳)


  不遜にも二つをミックスしてしまったが、訳詩は、多少意訳をしても、日本語の美しさのほうが重要である。
  さて、日本帝国の支配下におかれ、創氏改名を強いられ、母国語を使うことを禁じられ、弾圧され獄死した二人の詩人。日本人は、自国の被害は声高に言い、後世にも伝えているが、近隣の他国への加害の歴史はきちんと語り継いでいない。戦争体験すらないくせに、あったことをなかったことにしたい恥多き人たちを、これ以上増やしてはならない。