『メランコリイの妙薬』と『ノスタルジアの妙薬』

 レイ・ブラッドベリの短編集『10月はたそがれの国』を読んだのは、中学生の時。赤毛の魔女と大きなトカゲが妖しい建物の前を歩いている表紙の絵に、ひどく興味をそそられたからだ。初めて買った文庫本だったかもしれない。今でも覚えているのは、この中でもごく短く、しかも鮮烈な読後感を残す「みずうみ」だった。
 湖水の渚で幼い少年少女の短い交流があり、二人で半分ずつ、砂の城を作って遊んだ。しかしある日、少女は湖水で行方不明になってしまう。長い長い時が過ぎ、新婚の妻と一緒に、湖を訪ねたかつての少年は、監視人が引き上げた小さな灰色の袋の中を見る。汀の浅瀬で待ち続けた少女。年もとらず、仕草も同じ、そのままで凍りついたような少女が、10年を経て発見されたのだ。大人になった少年の駭き……。
 同じ題名でもシュトルムの「みずうみ」は、イムメン湖のほとりで、かつて思い合った恋人たち、今は若夫人となったエリーザベトと、学問の道に生きるラインハルトの淡くも苦き再会の物語である。湖に浮かんでいる白い睡蓮の花を、泳いで手折ろうとしてついに果たしえなかったラインハルト。その睡蓮の花は、決して自分のものに出来なかったエリーザベトを象徴するかのような遠くて仄かな花である。
 この物語は、老人がプロローグとエピローグに登場し、過ぎし日を回想する「枠物語」となっており、幾年が経てもラインハルトはエリーザベトを想い続け、今は孤高の学究となっていることが判る。
 立原道造ソネット(十四行詩)の「はじめてのものに」の最終連に、
    
    いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
    火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
    その夜習つたエリーザベトの物語を織つた


 というフレーズがあり、この物語が、初歩のドイツ語のテキストに使われていた事が窺える。  
 ブラッドベリの作品でそのほかに忘れがたいのは、『たんぽぽのお酒』と「メランコリイの妙薬」。大学時代の同級生が「たんぽぽのお酒」作りに夢中になっていたが、賞味させてもらったこともなく、熟成に成功したものかどうかは、今もってわからない。
 「メランコリイの妙薬」は、鬱の少女が、病重くもう助からないような状態になったところに、吟遊詩人が現れ、満月の夜にベッドを戸外に出して、月光を浴びて眠るようにと指示をする。そして翌朝、少女は晴れ晴れとした表情をして、家族は見事に病が癒されているのを知る。この短編も多くは語らず、実は何だったのかは、想像するしかない。
 ブラッドベリに触発されて、中学校の生徒会雑誌に「砂糖漬専門店」を、高校の生徒会雑誌に「ノスタルジアの妙薬」を書いた。
 「ノスタルジアの妙薬」は、「メランコリイの妙薬」からインスピレーションを得たもので、全記憶を喪失している男が主人公。降り止まない雨を見つめながら、公園のベンチで雨宿りしているあてどのない身である。彼の知りたいのは、ただただ自分の過去だけだった。
 雨に打たれた草むらのなかで、ふと目にした光っている小壜。一着しかない服を濡らしながらも、それを掴んだ主人公の目に、小壜のラベルがするどく目に飛び込んでくる。
 ―ノスタルジアの妙薬―!
 効能書きを見て、彼は躍り上がった。……これを飲みたる者には、必ず強き郷愁の念あり。効力は世に比類なきものなり。されど、……
 そのあとに書かれているはずの副作用への注意は、破れて不鮮明で、読むことは叶わなかった。しかし「強き郷愁の念」は、この数年の鬱屈を忘れてしまうほどに魅力的な言葉だった。ためらわず薬を飲んだ彼は、導かれるようにある建物をめざして歩いていった。旧い研究所の一室、そこに間違いなく彼のアイデンティティがあったのだが……。
 この「ノスタルジアの妙薬」を小さな本に仕立てたのは、1996年、毎日新聞社のギャラリーで2度目の個展を開催した時だった。背面に鏡を貼った特注のアクリルケースを作り、12ヶ月の本を飾った中の、6月の本としてだった。ガラス2枚に丸い錠剤を模した和紙を挟みこみ、その上に、ガラスを包み込んで壜状にくり抜いたキラ入り紙クロスを貼ったので、表紙がやや分厚くなってしまった。斜めに落としたボードの厚みには、グレーの蛇革が継ぎ表紙になっている。見返しは手染めのマーブル紙。本文紙はグレー。函は、斜め蓋付きのライターのような形で、蓋の部分にタイトル、下部はオーストリッチ風牛革を貼ってある。天地90mm×左右60mm。凝った割には、出来映えは今ひとつである。