現代豆本館と三井葉子の『夢刺し』
*現代豆本館と三井葉子の『夢刺し』
大学生の時、『私の稀覯本〈 豆本とその周辺 〉 』(丸ノ内出版)という、当時としてはかなり高価ではあったものの、手にしたからには買わずにはいられない本と出会った。カバーには、西洋の重厚な豆本棚に、革装箔押を施された瀟洒で小さな本たちが、宝石のように収められている。棚のそばに置かれたタバコと灰皿で、おおよその大きさが判る。
本文には、毎頁上段にコレクションした本の書影とタイトルと寸法が記されていた。
読み進んでいくうちに、著者の今井田勲という人は、主婦の友社から戦後文化服装学院出版局に局長として招かれ、「ミセス」「銀花」の名付け親だということ、そして、内外の豆本コレクターの第一人者であることを知った。しかし数年後、その人が局長である出版社に就職することになるなどとは、ゆめゆめ思いつく筈がなかった。
それよりも、静岡県藤枝市にあると書かれている「現代豆本館」には、ぜひとも行ってみたいと思い、すぐに決行した。今井田さんのお友達で、「静岡豆本」の版元のお医者さんが、国道一号線沿いに建てた小さな赤い三角屋根の喫茶店兼図書館である。説明をしてほしいと喫茶店のマスターに頼むと、ほどなくして、 小笠原淳館長がいそいそとやってきて、嬉しそうに解説をしてくれた。サンドイッチもご馳走になったような気がする。以来、先生が上京し、神保町に足を向けるときは必ず呼んで下さり、お寿司の「いろは」に連れて行っていただいたりした。そればかりか、「かながわ豆本」の井上美子さんをご紹介下さり、そのなかの一冊,関根弘さんの『路地裏のブルース』の装画を依頼されて、明るい昼下がりのゴールデン街に取材に行き、スケッチを何枚も描き続けた記憶がある。
ヴァイオリンを習っていた井上さんのお嬢さんの美樹ちゃんに、岩波新書の『ヴァイオリン』からドイツのお話を絵本に仕立てて贈ったこともあった。社会人になってからは、息子さんが事業を始めた時、一緒に事務所を営んでいた父が、新しい会社のロゴマークを作成したこともあった。
小笠原淳さんから最初にいただいた豆本が、三井葉子の『夢刺し』だった。名刺に活版で一編の詩のみが刷られている。それを半分に折って、タイトル含め8頁分を木版刷の表紙に挟み、赤い糸で綴じてある。このとき初めて三井葉子の詩に触れた。その何とも言えない言葉の妙に惹かれて、『浮舟』という詩集を買った。知的で抑制された官能とでも言おうか。薫香を纏った優雅なトカゲが、 ぬめりと地を這ってゆくような感じだ。
つつじ
死にたいとあなたがお言いになれば
ひのしをしている布(きれ)のうえに
山のつつじが燃え浮かぶ
いのちを寄せるのがそんなに単純なことなのを泣きながら
白い色につつじのいろの寄るはやさにも及ばずに
燃えるつつじの谷まで
ゆっくりと駈落とされてゆきます
(詩集『夢刺し』より)
雨のあと
雨のあとでふじのつるがゆるんでいた。
はなの散っている池に日が射している
わたしはどこにもゆかなかった
それなのにこんなにとおくにきたわ とあなたに言って
もつれてみたいとそうおもっていた
あめのあとの葉のさきで
あしをあげてきんの糸をからめている蜘蛛のうごくのをみていて。
(詩集『浮舟』より)
あいびき
そとはもうくらく暮れてきても
あなたがおいでになる戸のそとにたって わたしはあなたを待って
いましょう
すこしでもはやく会えるように
あなたが濃いところをめじるしにしておいでになるように
くちばかり赤く濃く塗って
さぐる手が
そこはふかいの きをつけてなどと言っているあいだにとどいて
しまうのでしょうね
ちいさいむらのなかにさいているあじさいのはなのように
あやめもしらずにさいてしまうしろい首のはなのように
ふかいところからふかいところに渡るようにして。
(詩集『浮舟』より)
はからずも今井田さんのもとで働くことになって、その短い二年のあいだに、「カネボウ・ミセス女流三賞」が創設された。現代短歌女流賞、現代俳句女流賞、現代詩女流賞がそれであり、『浮舟』で第一回現代詩女流賞を受賞したのが、三井葉子さんだった。この賞はスポンサーであったカネボウの経営不振のゆえなのかどうか、十三回で終焉を迎えている。お会いしたこともなく、写真での凛とした和服姿ばかりが眼裏(まなうら)に残っているが、この二月に不帰の人となった。三井さんは、小笠原さんと、まだお会いする前の今井田さんを繋ぐ絲であり、その詩とともにひそかに胸のなかにしまっておきたい詩人である。