本郷三丁目と「カミーユとマドレーヌの愛の物語」

 本郷も「かねやす」までは江戸のうち、というその「かねやす」の数軒となり、本郷三丁目の駅の近くに洋品店カミーユとマドレーヌ」がある。
 十数年前、仕事帰りに間口の狭いその店に入ってみようと思ったのは、「カミーユとマドレーヌ」が、 フランスのセギュール夫人の物語『ちっちゃな淑女たち』の主人公の幼い姉妹の名前だったからである。サブタイトルが「カミーユとマドレーヌの愛の物語」。
 少女ではない従業員のメイド服に、当初はなかなかに違和感があった。当時はまだメイド喫茶などなかったので、メイド服というより、エプロン付きドレスといった感じ。セギュール夫人の過ごしたヴィクトリア朝時代には、裕福な家庭の子女は、皆同じような格好をしていた。ケイト・グリーナウエイの絵本にもそんな格好の少女がよく登場する。オーナーが『ちっちゃな淑女たち』が大好きだからということを知ってからは、親近感こそあれ、ほとんど抵抗がなくなってしまった。
 セギュール夫人作/平岡瑶子・松原文子訳/三島由紀夫推薦の帯と序文の付いたその本は、 大判のA4判に堅牢な函付きの厚くて立派な本だった。しかも毎頁のようにカラーの美しい挿絵が入っていた。内容は、童話というよりも、上流階級のための「マナーと言葉使いの躾読本」のようなものだった。池田裕彰の装画と挿絵は、おそらく彼の仕事のなかでも渾身の作であり、構図も斬新で最高峰といってもいいほどの、気迫に満ちてエレガントなものだった。
 セギュール夫人は、鹿と王女の物語『リラの森』の作者としても忘れがたい。夫人は、『リラの森』のようなフィクションではなく、幼い孫娘のカミーユとマドレーヌのために、彼女たちの日常そのものを、あたたかい目を持って書いたのである。
 平岡瑶子の夫君であった三島由紀夫の序文には、
 ……『ちっちゃな淑女たち』には、美しい言葉、美しい心、美しい行為とは何かということが絶えず問われています。そのむかしのフランスで美しかった言葉、美しかった心、美しかった行為が、今の日本でそのまま美しいとは限りません。けれども、ある形に結晶し完成された生活や道徳は、その安定した美しさで、別の美しさを誘い出します。一つの美しさは別の美しさと照応し、一つの美しさによって別の美しさが誘い出される。これが美の法則でもあり、道徳の法則でもあります……。
 いま書き写してみると、「美しさ」満載で重複も多く、三島の練達の文章とはほど遠いように思えてくる。発行日は、昭和45年7月20日、その4ヶ月後の11月25日に、彼は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決している。決起を前に気もそぞろで、文章を練っている余裕などなかったのだろうか。
 マイクもなく、駐屯地のバルコニーで絶叫した憲法改正の演説を、昼休みの自衛官たちはまったく聞いていなかったばかりでなく、野次さえ飛ぶ始末だった。 のちに野上弥生子は「三島さんに、マイクを差し上げたかった」と語ったという。
 ……いくつかの偏見をも含めて美しい、何がよいとされ、何が悪いとされたかが厳然とした生活が、優雅に描かれているこの小説には、どんな時代になっても女性のあこがれである「レディー」の教育の典型が語られており、……という下りを読むと、三島の短編『女神』を思い出す。愛娘に完璧なレディー教育を施したつもりでありながら、 娘の心は忌むべき風来坊に奪われてしまうという皮肉な結末であった。
 http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20120726 三島由紀夫から佐々悌子への手紙
 ともあれ、この本は絵もレイアウトも装丁も美しい。本文に毎頁小さく入っているシルエットは、章ごとに違う絵に変わっていく。目次のスプーンとフォークも洒落ている。長く愛蔵するにふさわしい一冊である。


  角川書店の編集部が飯田橋に移転し、本郷にはめっきり足が遠のいてしまったが、赤門の中に勤務している友人に会いに行くときには、本郷三丁目交差点の和菓子の三原堂と、「カミーユとマドレーヌ」に寄って帰るのが習わしになっている。今年のゴールデンウィークの神保町での展示に、三原堂の上生菓子を含むミニチュアブック『WAGASHI』を飾った。三原堂の社長さんがお見えになったのに、折悪しく不在で、お目にかかるのは叶わなかった。しかしまた本郷三丁目に行くときは、季節の上生菓子を買って、「カミーユとマドレーヌ」を覗いて見るだろう。