緑の蛇と百合姫のメールヒェンに開示されたゲーテの精神

yt0765432013-02-24

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『メールヒェン 』 は、『童話』というタイトルに反して、大人にとってもかなり難解な物語である。
 鬼火達が渡し守に河を渡らせてもらって金貨を渡すと、渡し賃は地から生えたもの(三つのタマネギとキャベツと朝鮮アザミ)でなければ受け取れないと断られる。
 鬼火によって撒き散らされた金貨を、とろとろとまどろんでいた緑の蛇が呑み込むと、たちまち透明になって光を放ちはじめる。洞窟のなかにいた蛇は、奥の広間の窪みに彫像があるのに気づく。金の王(知恵)、銀の王(感情)、青銅の王(意志)、合金の王のうち、合金の王は、くずおれてつまらない塊になってしまう。
 広間にランプを掲げた老人がやって来る。このランプは、ほかの光のない時だけ、すべての石を金に、死んだ動物を宝石に変え、すべての金属を消してしまう不思議なランプであり、老人の通ったあとの道は、すぐに金で埋めつくされる。老人が家に帰ると、おかみさんが泣きじゃくっている。鬼火達が壁の金をなめつくし、身体をゆすると金貨が飛び散って、それを食べた飼犬のモプスが死んでしまったのだ。老人が金貨をしまうと、モプスは茶と黒のオニキスに変身する。
 おかみさんはモプスを籠に入れ、鬼火達の代わりに、タマネギとキャベツと朝鮮アザミを届けに河へ向かう。 しかし途中で出会った大男に取り上げられて、それぞれ二つずつしかなくなってしまう。渡し守は、三つでなければ受け取れないと言いはり、河の水に手を浸して借り手であることを保証するなら、二十四時間待つと言う。水に入れて取り出したおかみさんの手は真っ黒になってしまった。
 絶望したおかみさんのそばを、鎧を付けた若者が歩いて行く。やがてふたりは蛇の変身した輝く橋を渡り、リーリエの国へと到達する。渡り終わった瞬間、橋はゆらいでもとの緑の蛇に戻っていた。

 美しいリーリエ(百合姫)は、超感覚的な国を支配している。超感覚的な国と感覚的な国のあいだにこの世が存在する。蛇は、毎日正午に超感覚的な領域の中へ一時的な仮の橋を架ける。
 百合姫に内面的な条件を備えないままで近づこうとするものは誰でも、生命にかかわる痛手をこうむらざるを得ない。オオタカに追われてリーリエの胸に飛びこんだカナリヤは横たわり、紫のマントと褐色の巻毛の若者(王子)は、リーリエに触れてこと切れてしまう。

 宇宙蛇ウロボロスのように自分の尻尾を銜えた蛇の自己犠牲によって出来たアーチ形の橋は、透き通り、貴橄攬石(きかんらんせき)や緑玉髄(りょくぎょくずい)をちりばめた輝く宝石の橋である。リーリエは片方の手を蛇に、もう片方を、王子のなきがらに触れて蘇生させる。同様に、犬のモプスも、カナリヤも甦り、黒い手になってしまったおかみさんは、リーリエの三人の侍女よりもさらに美しい白い手の少女になっている。老人もおかみさん同様に若者の姿に還っている。
 やがて、聖堂で王子とリーリエの結婚式が行なわれ、人々は蛇の化身の堅牢な橋を往来して二人を祝福する。

 ホフマンスタールは、「存在の要素の数々が、深い意味を持って、戯れながら共存している」と言い、シュタイナーは、「ゲーテ信仰告白のすべてがある」と言っている。ゲーテ自身は、「二十人以上の登場人物が、このメールヒェンの中で右往左往。連中何をやっているかって? メールヒェンを、ですよ、君!」
 解釈などしようとせず、何だかよくわからないけれど楽しめばいいということらしい。

 蛇はあまり愛されていないためなのか、物語もほかの干支とくらべて極めて少ない。昔読んだこの評論を思い出し、抄訳して小さな蛇の本を作った。パーツも美しい形のものがなく、ようやく手に入れた百合のピンブローチと、フォルムの綺麗なシルバーの蛇のペンダントトップを組み合わせて、象徴的な表紙の飾りとした。継表紙の小口側は金の革、平の部分は、優雅なペイズリー模様が型押しされた深い緑の革である。見返しと函は、デッドストックの百合の包装紙。製本を習いはじめたばかりの頃、『緑の蛇と百合姫のメールヒェンに開示されたゲーテの精神』の原本をコーネル装で製本し直したが、そのときと同じ紙を使った。こんなに優美な紙は、今ではもうどこにも見つからなくなってしまった。本文はアップルグリーン。挿絵は、1949年に東京堂から刊行された『ゲーテ童話全集』のなかの増山暁子氏の挿絵を一枚挿入。影絵風の絵の真中に、蛇がちろちろと舌をひらめかせている。サイズ=天地91×左右66mm。

(参考文献:ルドルフ・シュタイナー『緑の蛇と百合姫のメールヒェンに開示されたゲーテの精神』 人智学出版社1983/絵本『メルヒェン』あすなろ書房1991/『ゲーテ童話全集』東京堂1949)