『うたかたの日々』とイグアナの胸膜を開けばサルトル

 映画の中の本と言えば、『華氏451度』や『プロスペローの本』、『薔薇の名前』などが思い浮かぶが、もっと爽やかで若々しく、そしてスクリーンの中の本そのものに思わず触れたくなってしまうのが、ボリス・ヴィアン原作、シャルル・ベルモン監督のフランス映画『うたかたの日々』である。
 製作されてから28年目の1995年、日本でも初上映された。わくわくしながら渋谷のミニシアターに足を運ぶと、階段に列を作っていた若者たちの姿を、昨日のことのように思い出す。シュールな原作よりもずっと分りやすく、28年経過してもその新鮮さと魅力的な登場人物には、目を瞠るばかりだった。
 肺に睡蓮の花が咲く不治の病に侵されたクロエ(アニー・ビュロン)と恋人のコラン(ジャック・ペラン)が主人公。しかし、コランの友人のシック(サミー・フレー)とアリーズ(マリー=フランス・ピジェ/大輪の厚物菊のようなショート・カットが可愛い)のカップルのほうが、はるかに印象が強かった。なぜなら、彼らはジャン=ソール・パルトル(PとSを入れ換えたサルトルのもじり)の熱烈なファンで、アパルトマンの裏口のゴミ箱の中の、超レアなパルトルの下書きを奪い合って屋上まで駆け上り、恋に落ちた仲。そしてシックが自分の書斎に連れてきたアリーズの手の甲、頬、うなじに、豪華な革装に仕立てたパルトルの本を、解説をしながら、次々と誇らしげに触れさせる場面があるからだ。

 

 La peau de mauriac plastifiée.
[加工したモーリヤックの皮で]

 Tiens, touche celui-là; c'est de l'agneau pascal.
[触ってごらん。過越の祭パスカル)の羊皮紙だ]

 Peau de zinzolette mordorée.
[金茶色のザンゾレットの革]

 Pièvre d'iguane traitée au bois de tuya.
[特殊な木で加工したイグアナの胸膜]


 野村伸一氏によると、装丁の材質は、同時にアリーズの頬やうなじを形容し、取り出す本の風合いの変化によって、シックがアリーズに対して次第に欲望を募らせてゆくこころの動きを、見事に表現しているのだそうである。
 原作には、赤や紫や真珠色のモロッコ革の本、スカンクの革の継表紙の本なども登場する。どれも仮製本のものを購め、製本職人に依頼して様々な革で自分好みの装丁を施すのである。
 貧乏なくせに、パルトルのものなら、花柄下着でも手に入れてしまうシックは、お金持ちのコランがアリーズとの結婚資金にとくれたお金まであらかたパルトルの本に使ってしまい、最後には虚無の革で装丁するだけのお金しかなくなってしまうのだ。
 アリーズは、パルトルのいるカフェにおもむき、出版の中止を懇願するが拒否され、ついにはシックの心臓抜きで手にかけてしまう。そして、パルトルの本を売る街中の本屋に次々と火を放つのだった…。

 サミー・フレーは、ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに』で、アンナ・カリーナと共演していたのを、ラピュタ阿佐ヶ谷で観たことがある。英語学校の生徒からにわか泥棒になる役だった。マリー・フランス・ピジエは、 フランソワ・トリュフォーの自伝的映画『大人は判ってくれない』の主人公が成人した『アントワーヌとコレット』 の恋人役が映画デヴュー作。この時も厚物菊ヘアで愛らしかった。
 ピアノを弾くとカクテルの出来あがる装置のついた「カクテル・ピアノ」を 演奏するコラン。肺の睡蓮に打ち勝つため、部屋中に大量の睡蓮を飾らなければならないクロエ。このピアノも睡蓮の部屋も、デジタルにない手作り感満開で、革に金箔の押模様で心を込めて製本装丁された一冊の本を思わせる映画なのである。

(初出:個人誌「邯鄲夢」1995年第2号より改題改稿/字幕翻訳の寺尾次郎氏には、原文の提供をしていただいた。)