デュ・モーリア『フランス人の入江』と絵を描く海賊

yt0765432012-06-15

 宝石のような数日間を、生涯に持つことのできる人は幸福である。ダフネ・デュ・モーリアの『フランス人の入江』は、一生にもうふたたびあろうとは思われぬ、そのめくるめく数日間の恋の物語である。
 この本は、創元社の大ロマン全集のなかでは『情炎の海』(1956年刊/大久保康雄訳)、三笠書房デュ・モーリア全集と評論社版でのタイトルは『若き人妻の恋』であった。いずれも絶版であり、『Frenchman's Creek』という美しい原題が、通俗な邦題で台なしにされてしまっているので、ここでは、直訳の『フランス人の入江』としたい。ロンサールの詩を読み、鳥の絵を描くフランス人の海賊と、快活で魅力あふれる貴婦人との束の間のロマンスに、情炎という言葉はあまりにもそぐわない。
 デュ・モーリア作品の映画化といえば、ヒッチコック監督の『レベッカ』『鳥』がつとに名高いが、この小説もジョーン・フォンテーンとアーテュロ・デ・コルドヴァ主演で映画化、1951年に日比谷で公開されている。『レベッカ』でもヒロインを演じたジョーンは、映画『風と共に去りぬ』の準主役、メラニー・ハミルトン役のオリヴィア・デ・ハヴィランド実妹で、父親が東京で特許弁護士をしていたために、姉妹そろって東京生まれ、日本流に腕に種痘の跡があり、デコルテが着られない、と何かで読んだことがあった。
 ようやく入手したパンフレットの表紙には、美しく微笑むヒロイン、ドーナ・セント・コラムを海賊が見つめている原色版の写真が載っているが、しかしこの海賊、いまひとつシャープさに欠けるし、どこにも原本の憂愁の翳りというものが感じられない。小説を読んで勝手に作り上げてしまう主人公のイメージとは、おそろしく堅固なものらしい。
 時は1668年、ロンドンの社交生活に嫌気がさして、海岸地方コーンウォールにある荘園ネヴロン荘に逃げ出して来たドーナは、沿岸を荒らすフランス人の海賊の噂を聞いた。数日後、森の奥深く渓谷と樹々に囲まれたクリークで、碇泊している海賊船「ラ・ムエット(かもめ号)」を見つけたドーナは、出会うべくしてその海賊の首領と出会う。想像に反して彼は知的で思慮深く、船室の中で蒼鷺の絵を描いていた。
 ドーナは、彼を二人だけの晩餐に招く。正装して訪れた彼は、ブルターニュの富も地位もあった貴族ジャン・ブノア・オーベリが海賊に転身した経緯を語った。ネヴロン荘の召使いウィリアムは、彼の忠実な下僕でもあった。
「満足と幸福の違いは?」と問うドーナに、海賊は、
「満足とは心も平静であり身体もつつがないことだ。幸福というのは、人の一生に一度しかめぐってこないものかもしれぬ一一恍惚とするようなものだ」と答えている。
 やがて、キャビンボーイの恰好でかもめ号に乗り込んだドーナは、村の豪族フィリップ・ラシュリイの持船メリイ・フォーチューン号を略奪するという波瀾万丈の冒険をともにして、肖像を描いてもらったり、夏至のクリークで釣った魚を焼いたりと、夢のような五日間を過ごす。ずぶ濡れになったドーナが昏々と眠り、ふたたび目覚めた時の海賊との洒落た会話のやりとり、そのあとに海賊がドーナの耳飾りのルビーを静かにはずす場面は、この上なく優雅である。
 しかし、ロンドンからドーナの夫ハリーと友人ロッキンガム卿が突然やって来たために、ドーナは自由な外出を阻まれ、海賊の身には危険が迫る。その夜開かれたネヴロン荘の大宴会。海賊たちが現れて、宝石を奪って逃げる時、不覚にも頭目だけが捕われる。あわや縛り首というところを、ドーナの機転で牢を脱出したものの、夜が明ければ二人には否応のない訣れが待っていた。
「世界はいつ頃から間違いだらけになり、人間はいつの頃から生き甲斐のある人生を生き、恋をし、幸福になることを忘れてしまったのだろう。だれの一生にも、ここでわれわれが見ているような湖水が一度はあったのだ」
 海賊はつぶやき、ドーナと永遠に訣れるためにかもめ号に去ってゆく。一生に一度の恍惚の日々の形見に、ブルターニュの彼の部屋は、キャビンボーイの肖像でいっぱいになるだろう。ドーナは浜辺に立ちつくし、小さな波がひたひたとその足を洗い、やがて海の中から燃える火の玉のような太陽が燦然と昇った。 
 私は思い入れの強い海賊の面影を、フランス人ならぬある日本人に重ねたことがあった。彼は私に鳥の絵を描いてくれたが、薔薇の詩人の詩を読んだことがあるか否かそれは知らない。所詮は、朝焼けのクリークを去ってゆく海賊のように、手の届かない人なのである。
 モーリア女史は、1989年4月に82歳で没しているが、終の棲家となったのは、彼女が生涯愛してやまなかった、この小説の舞台ともなったコーンウォールの海辺の家であった。

(初出:個人誌「邯鄲夢」1994年創刊号より改題改稿)