モノクロ写真と言葉のラチチュード 

yt0765432012-04-24

 モノクロ写真はラチチュード(濃淡の幅)をひろく! と、学生時代の写真の授業で繰り返し言われた。ハイライト(印画紙の白)とシャドー(黒の最も濃い部分)の間に、いかに明度の違う豊富なグレートーンを表現するか、に腐心していた。コダックのプラスエックスの長巻フィルムを、ヨドバシの店頭でもらった使用済パトローネに、1本ずつ装填してはカットし、小分けにして使った。夜、浴室はにわか暗室となり、淡い光線の差し込む暁まで、フィルムと印画紙現像を繰り返した。印画紙は、画像によって硬質か軟質かを選ぶ。 中央を円形にくり抜いたイラストボードによる焼き込み、手のひらをすばやく動かして、濃度を落としたくない部分を隠しながら焼く覆い焼き。それらを駆使して、原版に自分なりのニュアンスを加えてゆく。印画紙の基本は六ツ切(8inch×10inch)だった。
 原寸のネガのベタ焼きをまず見てもらい、○の付いたコマを六ツ切に引き伸ばして講評を受ける。七五三や成人式には明治神宮に行き、都知事選があれば人波に埋めつくされた投票日前夜の新宿東口広場に駈けつけ、踏み倒されないように、壇上の代議士の背広の裾を握りしめながらシャッターを切った。年末になれば、羽子板市やだるま市を撮りに浅草へ行った。旅に出る時は、傘を忘れても一眼レフのカメラだけは、抱きしめるように連れていった。
 明治神宮では、豪華な総絞りの振袖や、白貂のショールをまとった娘さん、ともに満艦に着飾った親子などが大半だったが、近隣の神社で出会った母親は、三歳の娘には晴着を着せていたが、自分は乳飲み子を背負った割烹着の普段着姿だった。浅草のだるま市で、いわくあり気なだるま売りのお兄さんにカメラを向けると、着古したジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、はにかむように笑ってくれた。撮る側もようやく成人という年齢だったが、撮影と現像で対象と二度対峙することによって、階層の陰と日なたを、おぼろげにかいま見るような気がしたものだ。

 赤外線フィルムでコントラストを強くして撮った『しなのおいわけ』は、いちばんいい焼き上がりのものを課題として提出してしまったので、 さらにもう一冊を作った。のちに、ベタ焼きを使ってミニチュア版も作った。塵入りのクラフト紙を貼ったキャラメル函型の中に、追分周辺の5枚の組写真を入れ、函の題箋は、鋲の付いた信濃追分駅のネームプレートを、正面から撮影したものである。
 意識的につよいコントラストで階調をとばし、ホスピスの終末期の老人たちを撮ったイタリアの写真家マリオ・ジャコメッリは「白、それは虚無、黒、それは傷痕だ」と言っている。(辺見庸『私とマリオ・ジャコメッリ』より)階調を取り払った画面には、凝縮された真理だけが剥き出しになり、辺見さんの語るように、白と黒以外には、ぼんやりした青の輪郭くらいしか色調を感じることはできない。
 白と黒の対比を考える時、中学の担任教師が卒業のはなむけに贈ってくれた「いつでも、どこでも、誰にでも、『カラスは黒い』と言える人になりましょう」という珠玉の言葉が、いまも口元によみがえる。黒いものを白いと言いくるめられることなく、どんな時にも揺るぎない自身のスタンスを確立持続させること、と解し、身が引き締まる思いがした日のことも。

 階調のあるモノクロ写真には、饒舌なカラー写真にいやまさる匂い立つような豊潤な色相を感じとることができる。虚無と傷痕の間の無限のラチチュードに、その色彩が浮かび上がってくる。カナリヤイエロー、ピスタチオグリーン、ターコイズブルー、コーラルピンク、キャロットオレンジ、サンドベージュ、ファイアレッド、ココアブラウン。あるいは、萌黄、欝金(うこん)、鴇(とき)色、縹(はなだ)、瑠璃、橡(つるばみ)、群青、滅紫(けしむらさき)、鶸茶(ひわちゃ)、二藍(ふたあい)、銀朱……。寡黙なグレートーンのなかに、あらゆる色彩が内在している。

 そして、言葉にもまたラチチュードがある。言葉には艶とリズムと華やぎと説得力がなければならない。絵は見たとたんに色彩がわかるが、モノクロの紙面を読み進むにつれ、色彩が匂うように立ち昇らなければならない。詩歌に触れ、古典に接していると、あやなす言葉の奥深さ、古語のたおやかさ、歴史の名残り、幾重ものラチチュードの連なりが記憶の中に堆積してゆく。
  何かを創造しようとする時に、濃淡、強弱、明暗、緩急、大小、静動、疎密、遠近、直曲、諧調と破調、それら相反するものへのゆるやかな認識は必要だ。もちろんすべてを盛り込むことはありえないが、常にその意識を持っていれば、表にあらわれた一枚一節に、万感の想いを託すことはできる。


(写真はミニチュアの写真集『しなのおいわけ』。浅間山樹氷、追分ヶ原、福永武彦氏の山荘の前で凍りついた草の花など、5枚の組写真がキャラメル函に収められている。最初の個展の時、画廊を通りかかった集英社広告部の方が、「弟が追分で旅館をやっているので、これを譲ってほしい 」という申し出があった。その旅館は、時々泊まっていた本陣旅館だった。もう一冊作ってお譲りしたので、この本は二冊存在する。58×62×12mm)