豆本『薔薇園のドラゴン』と『キレイちゃんとけだもの』

yt0765432012-01-06

 新宿東口のルミネエストが二代前の名称だった頃、六階の山下書店で平積みになっていた「子どもの館」創刊号(福音館書店刊)を眼にした時の鮮烈な印象は、今も昨日のことのように思い出すことができる。表紙の『太陽の東 月の西』のカイ・ニールセンの絵に負うところも大きかった。  
 同じビル八階にあったガラス張りの喫茶店「プチモンド」は、右のテーブルはポプラ社、左は偕成社というように、さながら子どもの本の編集者の打ち合わせ場所のメッカという感を呈していた。 私はまだ学生で、「プチモンド」にデヴューするのはずっとあとのことになる。
 大好きだった雑誌「季刊銀花」は、ひと桁代を持っていないので、これまでに創刊号から終刊号までを買ったのは、二年を待たずに休刊した書誌と蒐集誌「本の本」と「子どもの館」だけだった。1983年3月号、十年を目前の通巻118号をもって終刊となった。
「創刊の言葉」のなかの、「子どもたちは、トム・ソーヤーやハイジやシルヴァー船長、あるいはプーやムーミンに匹敵する主人公を、日本の創作童話のなかに持っているでしょうか? また、自然に暗誦してしまうような詩を持っているでしょうか? 残念ながら、ほとんど持っていないというのが現状です。」という問いは、時経てもそのまま現代への問いでもある。
 ニールセンやデュラック、ラッカム、トールキン、クライドルフ、グリーナウェイ恩地孝四郎初山滋茂田井武、小穴隆一、清水良雄 etc……。表紙や目次は、欧米や日本の一流の画家たちの絵で飾られ、巻頭評論は、 辻邦生竹西寛子外山滋比古らが寄稿していた。河合隼雄ユング心理学に基づく「昔話の深層」、神沢利子「流れのほとり」瀬田貞二「夢みるひとびと」などが連載されていた。日本女子大の童話同人誌「海賊」で注目され、早逝した安房直子さんの「銀のくじゃく」も載っていた。

 第7号は児童戯曲の特集で、英国のニコラス・S・グレイの『美女と野獣』(菊池章一訳)220枚が一挙掲載されている。挿絵は、表紙のデザインもずっと手がけていた堀内誠一さんだった。ボーモン夫人の原作には出てこない魔法使いの甥のマイキイという子どものドラゴンが、身体はドラゴンなのに顔は人間で、実に愛らしく描かれていて脳裏に焼きついてしまった。
 ジャン・コクトールネ・クレマン共作の映画『美女と野獣』について、またグレイへのインタヴューも巻末で読むことができる。
 のちにこの戯曲は『キレイちゃんとけだもの』という単行本になって、北宋社から1982年に刊行された。ベルはジェーンまたはキレイちゃん、野獣はケダモノと訳されているからである。

 さて、『薔薇園のドラゴン』は2011年3月4日のブログ、“「すくすく」編集長と豆本『花もようの子馬』” のなかで触れている幼年雑誌「すくすく」に10数編書いた童話のうちの初期のひとつである。
 北原白秋の童謡「赤い鳥」と「マイキイ」から着想を得て、緑色の子どものドラゴンが、薔薇園で赤い薔薇を食べすぎて、身体が赤薔薇色になってしまい、獣医にかけこむというものである。
 干支の年賀状の構成は、一年くらい前からおぼろげに考えているが、一昨年の銀座プランタンのアンティーク市で、両翼のシュガーポットと片翼のクリーマーのセットを見つけた。(Westmoreland Glass Co. 製。1920〜30年代)この時ミニチュアの本の造りは小細工をせず、内容を『薔薇園のドラゴン』に決めた。シュガーポットに本を、クリーマーに大きめの赤い薔薇のプラスチックのプッシュピンを入れてみた。本の表紙はオーストリッチ風の型押し牛革、タイトル周りの枠は、大ぶりの金の薔薇の輪のイヤリング。花布(はなぎれ)と、リボンを使ったスピン(しおり紐)はエメラルドグリーン。リボンの先には、小さな金の翼が付いている。本文の色は、スピンと同系のリーフグリーンである。自作の一枚の挿絵は、ほとんど憧れのマイキイになってしまった。(仕上り寸法=天地97×左右60mm)