香山滋とウンゲウェーゼン(在るベからざるもの)

yt0765432011-06-02

 香山滋が1971年(昭和46年)に書いた「ガブラ一一海は狂っている」(『妖蝶記』所収/創元推理文庫)という小説がある。
 太平洋沿岸の漁村、八幡浜。浜の漁師の兄弟が、海洋学研究所所長で学者の塚本博士の高台の邸宅を訪れる。手にした写真は、沖合で撮ったエベス(ジンベエザメ)だったが、常ならぬ恐ろしい姿をしていた。エベスは、二人の眼前で、見悶えるように変身したという。同じ頃、七つの目を持ったトゲだらけの異形のプランクトンを、弟子の花田が顕微鏡で発見する。花田は塚本博士の娘洋子のフィアンセである。おりしもカリフォルニアから帰国した洋子が開催したピアノリサイタルで、突然激しいめまいに襲われて倒れる。敏感な彼女がめまいを覚える時は、必ずどこかで原水爆実験が行なわれていた。

 八幡浜に続く海が放射能で汚染され、プルトニウムストロンチウムでエベスがおぞましく変形し、放射光を発する巨大なガブラとなった3尾とのすさまじい闘い。死闘の末にガブラは退治したが、ウンゲウェ−ゼン(在るベからざるもの)は次々とまた出現するだろう。敵はガブラではなく、すべての核保有国なのだ。
「海は、世界のものだ。われら人類のふるさとだ。そのふるさとを狂うがままに狂わせてしまってはならん。二十一世紀に生き継ぐためにも、わしは立たねばならん」と博士は叫ぶ。
 人類は、地球の4分の3を占める海から陸に上がって進化した。このときの設定は、「どこかの国の核実験」だったのに、二十一世紀を生き継いだ人類によって、われとわがふるさとの風土と原初の海を汚染されるとは! 70年代の終りにこれを読んだとき、私は戦慄した。それが現実になろうとは。
 香山滋(明治37〜昭和50年)は、昭和22年「オラン・ペンデクの復讐」で、華々しくデヴュー、映画『ゴジラ』の原作者としてのほうが知られていたが、反文明、反原発の立場を貫いた人で、この小説が遺作となった。
 人の不幸が大好きな妖精が、富豪の実業家夫妻の家の小間使いとなり、亡くなった娘ユリのように振舞って夫人の心を掴むのに成功したが、結局はしてやられてしまう「キキモラ」、単眼の古代の蝶パピが現代の女性の姿になって、DNAの存続を賭けて古代生物学者を惑わす「妖蝶記」、熱帯の花の咲き乱れる一万坪のプールで泳ぐ美少女真耶と姉を慕うその異母弟五美雄、妻の不義の子真耶を引き取った義父が、昏い復讐の情念を燃やす「海鰻荘奇談」などの極彩色の妖美艶麗な作品も忘れがたい。 

 ギリシャ神話のパンドラが、誘惑に負けて開けてはならぬ禁断の匣を開けたとたん、ありとあらゆる邪悪なものがこの世にあふれだした。パンドラが慌てて蓋を閉めたとき、たったひとつ残されたのが「希望」だった。篋底深く潜んでいる「希望」は、そのちからで、私たちに何をもたらしてくれるのだろうか?