ジェラール・フィリップとパトローネの豆本

yt0765432010-09-23

 ジェラール・フィリップほど膝枕の似合う俳優はいない。それも、大人の年上の女性の膝枕である 。ラディゲの『肉体の悪魔』で人妻マルトの漕ぐボートの上で、甘えた猫のように枕を独占している高校生フランソワ。「愛人ジュリエット」(原題「ジュリエットまたは夢の鍵」邦題よりずっといい)で、「記憶喪失の村」に迷い込んだ主人公ミシェルが占領する、森のなかで出会ったジュリエットの中世風のドレスの膝の上。そして、年上の妻アンヌの膝枕で、汚れた靴と普段着でこの上なくリラックスしているオフのスナップ。

 1951年の晩秋のこと、ジェラールは、パリ郊外のスューレーヌで、マスコミも知らないひとりの女性と舞踏会を催した。ジェラールと踊る女性の肩に掛かったショルダーバッグからは、ダックスフンドの子犬が顔を覗かせている。それが、ジェラールが人々に妻を紹介する流儀だった。彼らが知り合ったのは、ジェラールが一躍スターになる前のことである。その時ジャーナリストのニコルは母であり外交官の妻、そしてジェラールよりも5歳年上であった。紆余曲折を経てようやく実現した結婚を機に、ニコルはアンヌと改名している。
 アンヌが常に心がけていたのは、「真実であること、純粋であること、精神的に優雅であること」だった。「彼女と接した彼もまた、自分たちが深いところで似ていることに気づき、彼女によって重厚さと人間的な深みが増したのである」とジェラール・ボナルは伝記のなかで語っている。ふたりの愛について「それは自分が求めたわけでもないのに授けられた恵み、知性で作られた構築物でもあります。理性で作られたとさえ言えます。それは二つの存在が例外的に結合したもの、一種の合金なのです」とアンヌは述べている。
 また、彼女の書いた小説のなかから読み取れるように、母と娘、金持ちと貧乏人、老人と若者、という役割や表層で人を判断するのではなく、あくまで「個人」として尊重し、人間として対等に扱う姿勢をつらぬいている。「悪魔の美しさ」「花咲ける騎士道」などの映画に主演し、人気絶頂だったジェラールが、単に美しいだけの女性を選ぶことなく、しっかりと相手の聡明さと本質をみつめていたことは、彼自身の人間性をも浮き彫りにしたことだろう。
 私生活はたいへん質素で、古い車に乗り、いつも地味なスーツを着ていた。 性格も映画で演じるドン・ファンとは正反対の生真面目さだった。ジャン・ヴィラール率いるTNP(国立民衆劇場)俳優組合の組合長をつとめ、平和擁護運動の大会では、ポール・エリュアールの「 Liberté リベルテ」(自由)を高らかに暗誦した。

 アンヌは、彼の死後三年目に『ためいきのとき』(鹿島研究所出版会/ちくま文庫)という実に美しい回想録を上梓している。そこには、リュクサンブール公園をともに歩いた雪の深夜の情景、離れている時にともに見上げるオリオンのこと ( 「愛するとは、たがいをみつめあうことではなく、もろともに同じ星を見上げること」 というサン・テグジュペリの言葉が思い浮ぶ)など、知り合ってまもない光に満ちた頃のこと、彼が癌と知らされ死ぬまでのこと、亡くなったあとのもの憂い日々のことが淡々と描かれている。彼女は彼を守るために、本人にも周囲にも徹底的に病名を隠し通し、36歳の早い死のその日まで、彼の前で平静という芝居を演じ続けた。埋葬の日でさえも人前で決して涙を見せたりはしなかった。最期の衣装は、当たり役『ル・シッド』のロドリーグの胴衣であった。
  アンヌが繰り返し使っている“わたくしたち”という言葉には、とりわけ思いの深いものがある。「この“わたくしたち”は、あなたプラスわたくしでないもの、生まれつつあるもの、わたくしたちを超え、わたくしたちを包含すべきものだった」
 ひと組の男女がいたからといって、誰もがやすやすと“わたくしたち”になれるというものではない。フィリップ夫妻はほんものの“わたくしたち”にちがいなく、希有のカップルであったといえよう。
  二本の虹が同時にかかる時、互いに近い方が赤く、そこから紫に向かうグラデーションになってゆく。フィリップ夫妻は、その虹のようにある距離を置きながら、最も親しく寄り添っていたように思える。しかし、ひとつの虹は、空に瞬間光芒を放ったのち、ひとつを残してまたたく間に消え去ってしまった。アンヌが言うように、私たちの人生は、世界の流れのなかで、ためいきひとつの束の間に過ぎないかもしれない。夭折した人の生も、その倍を生きた人も、瞬時という点では変わりがない。だが、残されたものには記憶も残る。忘れ形見の子供があり、幸福だった日々とその想い出を繰り返すことのできたアンヌ・フィリップを不幸な未亡人とはいえないだろう。

 人工を嫌い、田舎を好んだふたりは、南仏ラマチュエルの丘に静かに眠る。小さな白い墓石にはふたりの名が刻まれ、地中海からの風、鉄門の軋み、たわむれる樹々のざわめき、小鳥のさえずり……かつてアンヌが生きながら感じたものを、いまはもう永遠に離れることのないふたつの魂が聴いている。

 (初出かまくら春秋社「季刊湘南文学」1997年夏号より改題・改稿)
 
付記:10年ほど前「肉体の悪魔」から「モンパルナスの灯」までをパトローネ型の円柱に巻き込んで、ジェラール・フィリップ豆本を作った。円柱はキッチンペーパーの芯。巻き上げ棒はボールペンの芯。文字どおりのフィルモグラフィーである。
→拡大写真はHP掲載
http://www.artfolio.org/mamehon/  → infomation