路上の絵と“いのちの香り”

yt0765432010-09-05

 中央が少し膨らんだコンクリートの道。何かしらいつもとは違うものを感じて、近づいてそれが何なのかがわかったところで、私の目はそのまま釘付けになってしまった。あたかも画布ででもあるかのように、愛らしい子どもたちと花や家などが縦横に描かれてあった。あきらかに幼児のものとわかる描線は、イエロー、ピンク、ブルー、グリーン、ホワイトの5色のチョークで、道のなかほどまでも広がっている。子どもたちは実に楽しげに、またのびのびと、道の上で遊び戯れていたのだった。私は急いでカメラを取りに戻り、アングルを変えてはひっきりなしにシャッターを押し続けた。
 絵は、濃いグレーのコンクリートにしっくりと調和したパステルトーンで、四角い胴体、三角のスカートなど、幼児の絵の特徴を示しながら、どこか心に沁み入るような哀感があった。これが遠からず消えてゆくもの、ほんの一雨であとかたもなくなるものだと直感したからかもしれない。幼児は誰かに見せるために描いたのではもとよりなく、ただこの戸外の道に無心のインスピレーションを得て、描きはじめたら、道は黒板よりもひろびろとして、さぞ楽しかったことだろう。深い山奥の湖のほとりに、咲いては花を散らす野草たちが、誰かに見られるためではなく、まさしく自分自身のために咲いているように。
 予感のとおり、その夜は雨になった。路上の子どもたちは、のびやかな手足を流されはじめているだろう。何やら落ち着かぬ夜を過ごして、翌朝戸外に出てみると、あの生き生きとした絵は、もうこの世のどこにも存在してはいなかった。
 それは遠い日の情景だったが、写真は今も私の手元に残っている。仕事に使えないかと思ったりもしたが、装われるにふさわしい本には、いまだ巡り会えないままである。著作権所有者も描いたことすら忘れ果てているはずだから、捜す手立てはもはやない。

 このうたかたの人の世で、一生もまさに路上の絵のようなものではないだろうか。どれほど優れた仕事をしたとしても、不滅のいのちはついに宿らず、もともといなかった人のように消えてゆく。そのあとにまた絵が描かれ、ふたたび流されてゆく。しかし、いのちがはかないものだからこそ人は何かを残そうとし、はかなさの意味を思いめぐらすのだろう。その思いに“いのちの香り”があったなら私は世間の評価や価値観を超えた共鳴を覚えてしまう。すでに定まった評価というものは、長いこと私自身には何の意味も持っていなかった。それは他者が与えた価値観だからである。自分の眼と手で見つけたものを、自分の流儀で愛してきた。それらがもう高い評価を受けている場合もあるし、まったく無名なときもある。そして、後者のほうが、私には限りなく愛しい。
 どこにでもあるのに、いつも新しい感動を呼ぶもの、それは一日の終りに空が焼けて、移ろってゆく朱の色、暮れてゆく菫色、深い陰影に彩られた雲の流れや、微少な皺をうねらせている海のさざなみ、渚の風紋、燃え立つような紅葉、さまざまな六華のヴァリエーションを見せてくれる雪の結晶などである。自然や季節のゆるぎない彩りの前にあっては、無上の芸術もたちまち色を失ってゆく。自然の造形は、ただ美しく豊かであるばかりでなく、思い切りがよく、あらゆるものに対して平等だからである。

 十世紀の後半に書かれた『宇津保物語』は、『源氏物語』に先立つ日本最初(のみならず世界初)の長篇小説だが、紫式部がこれを準拠としたのもかかわらず、華やかな『源氏物語』の蔭に隠れてしまったような感がある。写本に乱れがあり、文章も式部ほど巧みではなかったため、読まれることがごく少なくなっていったということらしい。
 そのはじめての現代語訳(浦城二郎訳・講談社学術文庫)を読んだ時、『源氏物語』より遥かにドラマティックなストーリーに昂揚し、主人公仲忠の琴に対する厳しい姿勢に打たれた。琴の名手俊蔭一家の四代にわたる物語。若き日に一読してすっかり魅せられてしまった浦城氏は、善本といわれる九州大学所蔵の写本をもとに、三十年を費やして入替、削除、移動などで文体を整え、読みやすく格調の高い訳文に仕上げている。
 代を重ねるに従って学芸の技量は落ちてゆくことが多いのに、この物語では、遣唐船が嵐で波欺国(はしこく)に流れ着いたため、その地で琴の秘技を習得、名器を持ち帰る俊蔭、両親の早逝で没落する俊蔭の娘、四本の杉の木の根方の空洞(うつほ)に母とともに移り住み、森の恵みで養う聡明なその子仲忠と、次第に琴の技量が勝ってゆく。仲忠はじめ公達たちがこぞって恋焦がれる絶世の美女貴宮(あてみや)、立太子をめぐる宮廷の権力争い、仲忠の母ひとりを北の方として大切にする実父右大将兼雅の誠実が、一条院に住まわせていた恋人たちへの不実となるというパラドクスも面白い。それを恨みに思っている元恋人からは、枯枝に結んだ文が届く。
 和歌の贈答の場面は豊富で、紅葉の枝に赤の薄様(薄い雁皮紙)、紫苑の造り枝に薄紫の結び文、白い竜胆の折花に付けた文、喪には鈍色(にびいろ)の紙など、王朝時代の文のやり取りとその機智、季節感、優れた色彩感覚、素材の選定などの美意識がどれほど熟していたのかが、現代の手紙の衰退とともに合わせ思われるのである。 

 弾きはじめると天女さえ空から舞い降りるという仲忠の琴に対峙する姿勢は、見事な音楽芸術論になっている。春夏秋冬の四季の巡りに、虫や鳥の声、空や雲や花の色、風の音、月や雪や雨を心に思い、山頂に高い人の志を、池の下の水に深い人の情けを偲び、この世のあらゆるものが時とともに移ろい、ついにむなしく消えてゆくことを心に留め、それを弾き現そうとしなければ、琴の妙技は会得できない、と彼は断言しているのだった。千年も昔の思いは、現代にあってそっくり自分の思いに重なってくる。
 自然には及ばない人の力といのちのはかなさを知りつくし、なお何かを作っていこうとする人の、その作品は、必ず誰かの胸に響いてくる。それは数多い人でなくていい。私はそんなふうに生きたかったし、そういうものを探し続けた。おそらくこれからも、そのこだわりは消せないだろう。たとえ大輪の花翳に隠れていても、“いのちの香り”を嗅ぎ分けて、いつのまにかそれを探し当て、大切に心のなかに育んでいくことだろう。

(初出1991年誠信書房「誠信プレビュー」41号より改稿)
 →拡大写真はHP掲載 
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