「朝顔の露の宮」と消えし蜻蛉

朝顔の花

 七夕を挟んで毎年三日間開催される入谷の朝顔市が終わった。
 かつての岩波文庫の一巻本の『お伽草子』には、現在の上下巻に収録されていない何編かの作品があった。 「朝顔の露の宮」は、『落窪物語』に連なる継子物語のひとつだが、このヒロインには、落窪の姫のようなハッピーエンドは用意されてはいない。
 昔、櫻木の大王の御世に、三人の皇子があり、末の露の宮は詩歌管弦に通じ、容貌心ばえの優れた若者であった。宮は、朝顔の上という梅が枝の大納言の娘の噂を聞いて憧れ、乳母の手引きで姫の邸に忍び入って幾度か文を交わし、やがて後朝(きぬぎぬ)となった。朝顔の上は、幼時に生母を亡くし、父は後妻浮草の前を娶っていた。このことは浮草の前の知るところとなり、 中納言の立腹をいいことに、荒くれた武士たちに姫を吉野の山中に棄ててくるように言いつけた。
 その日から墨染の衣に身を包んだ露の宮の、姫を捜す旅がはじまる。清水に詣で、伊勢路を過ぎ、鈴鹿山を越え、磯路の浦を眺め、尾張三河も通り過ぎ、富士の煙を仰ぎ見る。伊豆の国から相模の国へ、武蔵野から隅田川を渡り、常陸、下総、甲斐、信濃、いつか陸奥までたどり着く。
越後、越中、越前、丹後に着く頃は、はや二年が過ぎていた。
 宮は丹後を越えて嵯峨に出て、備前、備中、備後をたずね、安芸の国から長門を通り、筑前の博多の津へと船は着く。安楽寺にて祈念ののち、大隅、薩摩、日向を過ぎ、豊後の浦より四国に渡る。伊予、讃岐、阿波、鳴門の沖から淡路島、明石では、八月半ばの空の月、やがて紀の国熊野に籠る。
 一方、吉野山朝顔の上は、昔継母に棄てられたという老女に救われ、山深い埴生の小屋で暮らしていが、三年も過ぎた頃には、物思いが積もりに積もり、十八の若さであえなくみまかってしまう。
 熊野の露の宮は、夢にあらわれた老人に、「姫は先月七日に空しくなりぬ、跡を見たくば吉野を訪ねよ」と告げられる。鹿の通い路と見える細道に新しい廟所があり、ひともとの草花が咲いていた。これぞ、朝顔の塚、と宮は守り刀を突き立てて、朱(あけ)に染まって倒れ伏す。塚の中より若君ひとり生まれでたが、父もなく、母もなく、やがて露と消えて、その魂の胡蝶となった。よろずの花に戯れ、父よ、母よ、と明け暮れ舞っては嘆くばかり。
 朝顔の花は、夜は露に契り、朝美しく咲くけれども、日陰を待たずしおれてしまう。露の宮の物思いは、火焔となって天に上り、電(いなづま)の影となった。世にはかなきことを、朝顔の露、電の影、胡蝶の遊びというのはこれである。
古い歌にも、
 世の中は夢か現(うつつ)か現とも
 夢とも別かず有りて無ければ

 以上が「朝顔の露の宮」のあらすじである。生きていると見えた人もやがては果敢なくなり、その人の記憶を持った人もいつかはいなくなる。この世は続いているように見えながら、実は有りて無きものの絶え間ない入れ替わりではないか、という無常観を、この物語を読んだ学生時代につよく思った。末尾の一首は、「源氏物語」宇治十帖の薫の君の、若くしてみまかった恋人大君を追慕する嘆きの歌に重なってくる。

 ありと見て手には取られず見ればまた
 行方も知らず消えし蜻蛉