香山滋とウンゲウェーゼン(在るベからざるもの)

香山滋が1971年(昭和46年)に書いた「ガブラ一一海は狂っている」(『妖蝶記』所収/創元推理文庫)という小説がある。 太平洋沿岸の漁村、八幡浜。浜の漁師の兄弟が、海洋学研究所所長で学者の塚本博士の高台の邸宅を訪れる。手にした写真は、沖合で撮った…

「すくすく」編集長と豆本『花もようの子馬』

「あんた、この会社、どう?」と、手許の光源の円い灯りだけがある暗室の闇のなかで、ぼっそりと話しかけてくれたMさん。入社したばかりの頃だった。定員二人の暗室は、先にいても、あとから入っても、誰とでくわすか予想がつかなかった。それぞれが手にして…

霜葉は二月の花よりも紅なり

晩唐の詩人杜牧の作品に「山行」という七言絶句がある。 斜・家・花が韻を踏んでいる。 遠上寒山石径斜 白雲生処有人家 停車坐愛楓林晩 霜葉紅於二月花 遠く寒山に上れば 石径斜めなり 白雲生ずる処 人家あり 車を停(とど)めて坐(すず)ろに愛す 楓林(ふ…

芥川賞辞退の高木卓と『むらさき物語』

「紫匂う王朝の愛の夢! 高木卓は、芥川賞を受けとらなかったただ一人の人である」と帯と袖に書いてあったら、もうその本は買わずにはいられない。 大伴家持を描いた「歌と門の楯」で、太宰治が欲しくてたまらなかった芥川賞を、1940年上半期(昭和15年/第1…

「季刊銀花」と金銀花またはスイカズラのこと

「季刊銀花」が、2010年2月、第161号をもって終刊になった。4〜5月には、善福寺葉月ホールハウスに於いて、「銀花」に連載されていた『“手”をめぐる四百字』の原稿と表紙の変遷の展示と朗読会、朗読劇があった。歴代の編集長や懐かしい先輩方に久方ぶりで再…

A.A.ミルン『うさぎ王子』の豆本

2年ぶりで干支の豆本を仕立てた。 『クマのプーさん』で知られるA.A.ミルンは、「うさぎ王子」という短編童話を書いている。うさぎの姿で長いこと苦労してきたためか、主人公のうさぎくんは、賢くて、とてもひょうきん、人間(うさぎ)が出来ている。運動神…

あなたは雪のニンフじゃない、アンプロンプチュだ。

『草入水晶』というシュティフターを思わせる透き通るような書名に惹かれて、神田の八木書店の棚から引出した本。龍野咲人の『草入水晶』は、昭和22年から24年にかけて、雑誌「高原」5号から10号(終刊号)まで連載された小説である。単行本は古沢岩美の装画…

ピアスの留具付きクリスマスカードの豆本

2008年のクリスマスの頃、早朝のTV番組のために作ったアンティークのクリスマスカードの豆本。赤い布貼りにラインストーンの付いたダビデの星形のピアスを留具に。見返しは緑のヒイラギ模様。本文は、窓の開いたカード、三層になったカードなどの仕掛けがあ…

小川町のオフィスと葬送文化研究会

小学校の校庭から見上げる空に、煙が流れる。それは近くにある堀ノ内葬斎場の煙突の煙だった。その頃からもうぼんやりと、人がいつか空に流れていくことを知ってしまった。火葬場や煙は日常の光景であり、否応なく近しい存在であった。狭すぎた小学校はその…

アンドレーエフ「金のくるみ」とマグネットの子持本 

ロシアのレオニード・アンドレーエフの「金のくるみ」は、子どもの頃も今もベストワンの童話だった。 林のなかの牝の子りすが、通りがかりの優しい天使に、天国の庭に実った金のくるみをもらう。ころころ転がして遊んだあとに、ぴかぴか光るきれいな金色だっ…

エミール・ノルデの学者と青い顔の少女

エミール・ノルデの「学者と少女」を初めて見たのは、朝日新聞の当時は珍しい色刷りであった。「ドイツ表現派展」が上野で開催されていた時の案内記事だったのかもしれない。社会というものを知らない高校生の頃、その画家の背景なども知る由もなく、少女の…

BER珊瑚とグラスの中の深海

銀座7 丁目の雑居ビル8階にあったBER珊瑚。 初めて足を踏み入れたのは、先輩のデザイナーのお伴であった。そこはマスコミ関係の溜まり場だった。会社にどんな人が居るのかもよく知らぬまま、勤めていた出版社をあっという間に辞めた頃で、そこで会った人が古…

津田青楓とモザイクの館

葡萄畑はみのりの季節だった。どこまでも続く色づいた房の連なりにみとれていると、その畑のなかに、白壁二階建ての瀟洒な美術館が姿を見せる。正面にはブルーグレイの曲線の石のモザイクが施され、屋根近くに同じモザイクの楓の葉が一枚。風を受ければ、い…

ジェラール・フィリップとパトローネの豆本

ジェラール・フィリップほど膝枕の似合う俳優はいない。それも、大人の年上の女性の膝枕である 。ラディゲの『肉体の悪魔』で人妻マルトの漕ぐボートの上で、甘えた猫のように枕を独占している高校生フランソワ。「愛人ジュリエット」(原題「ジュリエットま…

路上の絵と“いのちの香り”

中央が少し膨らんだコンクリートの道。何かしらいつもとは違うものを感じて、近づいてそれが何なのかがわかったところで、私の目はそのまま釘付けになってしまった。あたかも画布ででもあるかのように、愛らしい子どもたちと花や家などが縦横に描かれてあっ…

アンティーク絵葉書の豆本

本職はブックデザインですが、年2回だけ小さな本の講習をしています。ようやくサンプルが出来上がりました。玩具のようなものではなく、工芸品の感覚です。 コレクションの中からセレクトしたアンティーク絵葉書に、フランスの詩の一節が添えられています。…

オーカッサンの情熱、ニコレットの理性

作りたい豆本の「辞典」のジャンルに、『登場人物辞典』と『恋人たちの辞典』がある。『恋人たちの辞典』は、頁に限りがあるので、ほとんど出典と作者、恋人たちの名前とプロットだけになりそうだが、その筆頭に『オーカッサンとニコレット』が挙げられる。 …

「朝顔の露の宮」と消えし蜻蛉

七夕を挟んで毎年三日間開催される入谷の朝顔市が終わった。 かつての岩波文庫の一巻本の『お伽草子』には、現在の上下巻に収録されていない何編かの作品があった。 「朝顔の露の宮」は、『落窪物語』に連なる継子物語のひとつだが、このヒロインには、落窪…

「灯」と「抒情文芸」のエレガンス

知的でエレガントな絵が嵌め込まれた雑誌が眼に留まった。「文学界」など大人の文芸誌のようなシンプルさでありながら、ロマンチシズムにあふれている。馬車から今まさに降りようとして華奢な足首を伸ばしている若い女性。馬車の背景はニュアンスのある緋色…

Les cartes postales antiques

8月の豆本講習のテキストにするフランスの詩を選ぶため、プレヴェールや、アンリ・ド・レニエ、アポリネール、ミュッセなどを読み返しています。 かつての少女雑誌の口絵には、必ず美しい写真と詩がセットになっていて、否応なく覚えたものでした。本文の詩…