ルドゥーテの薔薇の豆本

◉1day lessonのお知らせ ◉

開いていくと、次々と薔薇の絵があらわれる小さな本。最後の斜めの折り込みには、シェイクスピアの薔薇の詩が隠されていますが、薔薇の詩人ロンサールの詩に変わるかもしれません。原本は「花時間」2009年5月号の巻頭を飾ったリボン結びの本。この時の本に、斜めの詩の頁をプラスしました。素材は、若干変更になることがあります。70×70mm。お申込受付中です。 webからもご確認できます。
日時◉11月20日(日)13:00〜16:00
場所◉朝日カルチャーセンター新宿教室
tel: 03-3344-1946(直通)/fax: 03-3344-1930
http://www.asahiculture.jp/shinjuku/
◉定員は10〜12人の予定です。

馬柄のネクタイから作った小さな本と活字デザインのノオト

 馬柄の絹のネクタイから作ったリボン結びの本は 、2003年のNHKおしゃれ工房 』4月号のために制作した。幅広の部分を使った布がバイアスなので,なかなか扱いにくかった。本文は馬の切手貼り。『Les CHEVAUX』 のタイトルラベルの形は、馬蹄形を模したもの。あらかじめ手順を先に撮影し、それを見ながら話す。リハーサルの後がもう本番。すぐにラッシュを廊下で流しはじめたのが居たたまれず、車で逃げるように帰ったのを覚えている。

 活字デザインの包装紙と灰青の紙クロスのコーネル装のノオトは、プレゼントしてしまったので、もう手許にはない。活字なので、レトロな文字は裏返しになっている。

至福の仕掛け絵本――2冊の『シンデレラ』



 子どもの頃、初めて買ってもらった仕掛け絵本は「光文社の動く絵本」の『シンデレラひめ』(絵=岩本康之亮)だった。その時代は、十見開きのうち、ハイライトの一開きだけが仕掛けになっていた。シンデレラの場合は、もちろんカボチャが馬車になり、二十日鼠が馬に、ドブネズミが馭者になる場面。黄金の馬車と馬は赤い紐でつながれ、馬車のなかには、ほとんど幼女の顔をしたシンデレラが乗っている。この本の存在がどれほど嬉しかったことか。大人になって仕掛け絵本を集める原点になったのだと思う。
 神田小川町にオフィスがあった頃、図録や洋書や画集を扱っている源喜堂書店の裏のビルに居たために、ランチに出る時には必ずその店を通った。店の前に絵本の入った箱があり、毎日見ていたので、仕掛け絵本がでると、迷うことなく買い占めていた。今では高価なチェコの横開き絵本など、当時は驚くほど安価で、何冊も買えたのである。

 
 もう一冊の『サンドリヨン(CENDRILLON) 』(ローランド・ピム1947年頃)は、アンティーク市に通うようになってからクレジットで購めた、かなり高価な絵本だった。 A PEEPSHOW BOOK は『覗き見ブック』というのよ、と店のオーナーが教えてくれた。場面が型抜きの四層に作られていて遠近があり、手前下に文章が書かれ、舞台のような構成になっている。紐をとじると六画面が星形に360度に開く。他にも『眠れる森の美女』や『長靴をはいた猫』などがあるらしい。

 仕掛けのパターンにはいくつかの基本形があり、簡単なものはグリーティングカードなどにも使われている。一度仕掛けの愉しみを知ってしまうと、開いて立上がらないカードは、どこか物足りなく思えてしまう。

『ペレアスとメリザンド』とフォーレのシシリエンヌ(シチリアーノ)


 『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande)は、『青い鳥』を書いたベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクの禁断の愛の戯曲である。
 日暮れの森の中で、長い髪の若く美しい女性が泣いている。通りかかったアルモンド王国の王太子ゴローは、メリザンドという名前を知るが、遠くから来たこと、冠を水の中に落としたこと以外は何もわからない。ゴローはメリザンドを連れ帰り妻にする。
 やがて王国の城にやって来たメリザンドは、暗い城の中に案内され、ゴローの異父弟で若き王子ペレアスと出会う。ともに気に入った二人は、城の庭にある「盲目の泉」で戯れて遊ぶ。
「この泉はかつて盲人の目を開いた奇跡の泉と言われたが、老王アルケルが盲目同然となってからは訪れる人もほとんどいない」とペレアスは語る。メリザンドがゴローから贈られた結婚指輪をもてあそんでいると、それはあっという間に泉の底へと沈んでいってしまった。ペレアスは「落とした時に正午の鐘が鳴っていたので、もう遅くなるから帰ろう」とメリザンドをうながした。
 その晩ゴローは狩で落馬し負傷してしまう。メリザンドが指輪をしていないことに気づいたゴローは激怒するが、メリザンドは「海辺で落とした」と嘘をついてしまう。ゴローはメリザンドにペレアスを同伴させて海辺を探すことを命じる。
城の塔の上でメリザンドが歌いながら髪を梳かしているとペレアスがやってくる。ペレアスとメリザンドは手を伸ばし触れようとするが、メリザンドの手が届かず、彼女の背丈よりも長い髪が塔を伝って落ちてくる。ペレアスはそれをかき抱いて狂喜する。その二人の姿はゴローに見られてしまう。
 翌日ゴローはペレアスを深い洞窟に連れて行き、底なしの沼を見せる。外に出た後でゴローはペレアスにメリザンドの妊娠を告げ、あまり彼女に近づかないようにと警告する。その夜、ゴローが先妻の子イニョルドを肩車してメリザンドの寝室の中を見せると、イニョルドはペレアスが彼女と一緒にいるというのだった。

 ペレアスは遠くへ旅立つ前に、今晩泉で会いたいとメリザンドに告げる。老王アルケルがメリザンドと話していると、ゴローがやってきてメリザンドをなじり、その髪を引きずり回して呪いの言葉をかける。アルケルが制止してゴローは部屋を出て行くが、メリザンドはもうゴローを愛していないとアルケルに話す。夜になり、泉で待つペレアスのもとにメリザンドがやって来る。愛の告白をするペレアス、私もと答えるメリザンド。木陰の闇で抱き合う二人、そこにゴローが現れ剣を抜く。ペレアスは剣を持っておらず抵抗すらできない。しかしなおキスを求める二人を無言で襲うゴロー。ペレアスは斬られ、メリザンドも傷を負い逃げ惑う。
 メリザンドが「小鳥でも死なない小さな傷」によって瀕死の状態にあること、そのショックで小さな赤子を産み落としたことを噂しあう召使たち。横たわるメリザンドに、ゴローはペレアスとの不義の有無を問うが、すでにメリザンドは黄泉の国へ旅立ついまわのときであり、「愛したけれど、罪は犯していない」と答える。ゴローが別室へ下がった時に、メリザンドは誰にも看取られぬまま息をひきとっていた。泣き崩れるゴローにアルケルは「今度はあれが生きる番だ」と小さな赤子を指して、静かに幕が下りる。
 フォーレ管弦楽組曲ペレアスとメリザンド』のなかの、シシリエンヌ(Sicilienne)は、第2幕でペレアスとメリザンドが泉のほとりで戯れる場面の前奏曲として演奏された。メリザンドがゴローに贈られた指輪を泉に落とし、回転しながら底深く沈んでいく情景が、ハープの分散和音に乗ったフルート独奏の美しい音色で奏でられ、私の最も好きな曲である。「フォーレの『鎮魂曲』を聴きながら死んでゆけたなら…」と書いた結城信一さんのように、私もこの曲をエンドレスで聴きながら逝ければと思っている。

 湯川書房版(1988)のカバー絵は、山本六三のカラーエッチング。舞台写真は、メリザンドを演じるサラ・ベルナール

アナトール・フランスの童話『アベイユ姫 』

アナトール・フランスの童話『アベイユ姫 』

 ジョルジュ・ド・ブランシュランドは、生まれてすぐに父の伯爵を、三歳の時に母を失う。伯爵夫人は、ジョルジュの行末を案じて、親友のクラリード公爵夫人に、ジョルジュの養育を託して天に召される。その日から、一歳のアベイユ・デ・クラリードは、ジョルジュと兄妹のように育てられた。
 ある日、物見台に登った二人は、遠くに青く光る湖を見つけて、お城をぬけだし、湖のほとりまで歩いていく。足が痛いというアベイユのために草のベッドを作り、ジョルジュはひとりで木の実を探しにいくと、水の精オンディーヌたちに囲まれ、水の中のオンディーヌの御殿へと連れて行かれてしまった。


 ぐっすり眠っていたアベイユを、小人たちがたんかに乗せて、山のほら穴のロック王の御殿に運んでいった。ロック王はアベイユを一目見て好きになり、大きくなったら結婚して、小人と人間の仲をよくしたいと思った。
 ロック王はアベイユにかわいらしい家を建ててやり、宝石や金銀の布や美しい服など、女の子のほしがるようなものは、何でも与えてやった。
 けれどアベイユは「王様、わたしをおうちに帰してくれたら、ほんとに好きになってあげるわ」「だれよりも好きに?」「それはだめよ。わたしはお母さまとジョルジュがいちばん好きなの」
 王はいろいろな贈りものをしたり、楽しい催しをしたりして、心をこめてアベイユのためにつくし、いつしか六年の月日が流れた。
 アベイユは涙を流し、「あなたが心からわたしを愛して下さっているのはわかっています。でもわたしは、ジョルジュのお嫁さんになりたいのです……」
 ロック王は、小人の国の学者ニュールのところに行き、ジョルジュの居所を調べてほしいと頼んだ。
 「その子は、水の妖精の御殿の水晶の牢に捉えられています」
 牢の壁は、小人の国と隣り合わせだった。ロック王は、魔法の指輪を持って旅に出た。町や川をぬけ、山や谷を越え、深いほら穴の奥に入ると、指輪をあてて岩壁をしらべ、ひとつの岩をさぐりあてた。

 王が指輪を押し付けると、たちまちその岩は崩れ落ち、美しい光がほら穴のなかに流れこみ、光の方向にジョルジュの姿があった。王はジョルジュを連れてほら穴の道を戻り、まだら岩の階段のところで、「この階段をのぼりなさい。お城の近くに出るから」といって姿を消した。
 城へ戻ったジョルジュは、六年前アベイユが小人たちにかつがれて行くのを見た、という話を村人から聞き、鎧に身を固め、楯と槍と剣を持って、小人の国をめざして馬を駆った。
ようやく辿りついた小人の国の門前で、ジョルジュは叫んだ。
 「門をあけろ!ジョルジュだ。アベイユ姫をとりかえしに来たのだ!」
 門の扉がしずかに開き、中庭に入ると、小人たちがいたるところでジョルジュを見ていた。広間に入ると、正面の玉座に、国王と思われる人がおごそかに立っていた。自分を助けてくれたその小人を見て、ジョルジュは思わず駆けよってひざまずいた。
 「あなたが、アベイユをさらっていった方なのですか……」
 「わたしは愛する少女のために、君を助けた。愛する人が幸せになるのがわたしの喜びであり、幸せなのだ」
 ロック王はジョルジュとアベイユの手をとって重ねあわせ、二人はかたく手を握り合い、王の前にひざまずいて、感謝の意を捧げた。その時、王の目にうっすらと涙が浮かんでいたのに気づいたものは誰もいなかった……。

 ロック王は、幼女誘拐をしたわけだが、アベイユには誠実に接し、決して彼女の意に染まぬことはしなかった。それどころか、アベイユの最愛のジョルジュを探し出して、二人を再会させたのだ。
この本は高校生の時に『少年少女世界文学全集Ⅱ期』の中の市原豊太訳を図書館で読み、どこの書店にも見つからなかったので、全編を万年筆で2週間かけて筆写した。句読点ひとつでも間違えないよう、細心の注意を払ったのを思い出す。修正液のあとも随所にみえる。昭和14年白水社版『アナトオル・フランス短篇小説全集』に収録されている第一巻を入手したのは、ネットが普及した最近になってからだった。
 挿画は、「暮しの手帖」1996年2.3月号に掲載された藤城清治の美しい影絵である。

ジャック・プレヴェール脚本『やぶにらみの暴君』

ジャック・プレヴェール脚本『やぶにらみの暴君』

 1952年に邦題『やぶにらみの暴君』としてアニメーション公開。原作はハンス・クリスチャン・アンデルセンの「羊飼い娘と煙突掃除人」。監督のポール・グリモーは、1967年に『王と鳥』として改作。この映画に影響を受けたのが、スタジオジブリ宮崎駿高畑勲で、2006年に同スタジオなどにより、ミニシアターで劇場公開された。
 砂漠の真ん中に聳え立つ孤城に、ひとりの王が住んでいた。その名はシャルル16世。わがままで疑心暗鬼の王は、手元のスイッチ一つで、気に障る臣下を次々に「粛清」していった。

 望みさえすれば、何でも手に入れることが出来るはずの王シャルルは、ひとりの美しい羊飼い娘に片思いをしている。城の1999階(『王と鳥』では267階)の王様の秘密の部屋の壁に掛かった一枚の絵の中にその娘はいて、隣合わせた額縁の中の煙突掃除屋の青年と深く愛し合っていた。嫉妬に狂う王を後に、ふたりは絵の中から抜け出し、一羽のふしぎな鳥の助けを借り、どこまでも続く階段を駆け下りて城からの脱出を試みる。鳥は娘と青年に「気をつけたまえ。この国は今こそ、罠だらけだからな」と言う。
 為政者も、マスコミも、民衆も皆一緒くたになって天空高く聳える高層宮殿の正体は、世界のシステムそのものだった。
写真は『王と鳥』より。



◉「現代詩手帖」1972年7月号にプレヴェールの脚本掲載
◉ 2007年に『王と鳥』DVD 発売
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10271957

オートマタの悦楽とセーラ・クルーの「最後の人形

オートマタの悦楽とセーラ・クルーの「最後の人形」

 オートマタ(Automata ギリシャ語の「一人で勝手に動くもの」が語源)は、主に18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで作られた機械人形ないしは自動人形のこと。ゼンマイを巻いて動くからくり人形。
 動かないビスクドールは、アーテーの小さめのレプリカを一体持っていたが、うっかり落として首が折れてしまった。縁起が悪いので箱に入れてずっと仕舞ったままだった。レプリカを制作しているセサミブレインズさんに相談すると、修理可能ということ。お願いしたら、ほとんど傷がわからない状態で戻ってきた。
 そのセサミブレインズさん制作のジュモーのオートマタを入手。人形は旦那様が、奥様が衣装を作っている。かつて目白の「オルゴールの小さな博物館」で、お茶とピアノの演奏付きで、花綱を持って踊ったり、文字を書いたりするオートマタを何体も動かして見せていただいたことがある。入手したのはもちろんレプリカだが、「エリーゼのために」の音色とともに花の香りを嗅ぐ人形の動きを見ていると、オートマタが手に入るとは夢にも思わなかっただけに、今年は幸先がよいかも、と勝手に思ってみる。





 人形と言えば、思い浮かぶのは『小公女』の主人公セーラの11歳の誕生日に、父親のクルー大尉から贈られた「最後の人形」。セーラは裕福な家庭の子で、ミンチン女学院の寄宿舎では公女様のように扱われている。父親に買ってもらったエミリーという人形を持っているが、誕生日の人形は小さな子どもほどもあり、トランクの鍵を開けると、次々と美しい衣装や小物があらわれた。ダンスの会の服、訪問用の服、散歩服、テンの毛皮の外套やマッフ、レースの襟飾りや、絹の靴下、ハンカチ、首飾りから、黒ビロードの帽子、扇子まで、何から何まで見事な品がそろっていた。
 その誕生会の最中にクルー大尉の訃報が届き、皮肉なことに、それはセーラにとって本当の「最後の人形」になってしまった。一文無しになったセーラは、意地悪なミンチン先生に屋根裏部屋に追いやられ、下働きに使われるが、どれほど耐えがたい日々にも、決して心の気高さを失うことはなかった。

 赤いトランクと人形の写真は、神戸ドールミュージアム
 屋根裏部屋のセーラの挿絵は、2011年の福音館書店版。画家はエセル・フランクリン・ベッツ。